こうして、かつての(イスラエルの)民は「飢えの内に」捨て置かれました。なぜなら「『私がアナトトに住む人々のところを訪れる年、私は彼らに対して災いをもたらすからだ』。主よ、あなたは正しいお方です。それゆえ私はあなたに弁明いたします。しかし私はあなたに対して、不平を述べます。不敬な者たちの道が栄えるのは<なぜですか>。裏切りを働く者たちが皆ことごとく繁栄するのは<なぜですか>[1]」。さらに私たちは、律法と預言者たちとを与えられる神が、慈しみ深い方であるのかどうかを尋ねます[2]。なぜなら私たちは、「不敬な者たちの道が栄え」ているにもかかわらず、(神が)彼ら不敬な者たちを懲らしめられないのを目にしているからです。「裏切りを働く者たちは皆ことごとく繁栄しています」。創造主に反対し、創造主を冒涜する者たちさえ、「繁栄しています」。「彼らは植えられ、根を張り、子を孕み、実を<結ばせました>[3]」。マルキオンはどれほどたくさんの実を結んだことでしょう。バシレイオスは、どれほどたくさんの実を結んだことでしょう。ヴァレンティノスはどれほどたくさんの実を結んだことでしょう。実にこれが、不敬な者たちに関して、「彼らは子を孕み、実を結ばせた」という言葉の中に預言され、語られていることなのです。「あなたは、彼らの口の近くにいます。しかしあなたは、彼らの腹の遠くにおられます[4]」。彼らは、(口では)イエスの名を挙げますが、(心の底では)イエスを持っていないのです。なぜなら彼らは、イエスを然るべき仕方で告白していないからです。

「そして主よ、あなたは私をご存じです。私を見て、あなたに対する私の心を究められました。どうか彼らの殺戮の日に彼らを清めてください[5]」。この言葉を解明するために、私はどうすべきでしょうか。(エレミアは)「清め」という言葉で、懲らしめられる者たちの数々の懲らしめ[6]のことを言っているのです。実際(エレミアは)、「彼らの殺戮の日に彼らを清めてください」、彼らを屠ることによって彼らを清めてくださいと言っています。たしかに「主は、愛する者を懲らしめ[7](子として)受け入れるすべての者をむち打たれるのです[8]」。



[1] Jr.11,22-12,1.

[2] :Eti zhtou/men( eiv avgaqo.j o` qeo,j evstin o` to.n no,mon kai. tou.j profh,taj dedwkw,j

[3] Cf.Jr.12,1-2.

[4] Jr.12,2.

[5] Jr.12,3.

[6] kola,seij

[7] paideu,ei

[8] He.12,6; cf.Pr.3,11.

 

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