しかしもしもあなたが、「大地はすべて、私ゆえに滅ぼされ消滅した[1]」という言葉に関してもっと高度なことを聞きたいとお望みであれば、キリストが訪れたとき、あなたの中にある大地が[2]どのようにして滅ぼされたかをお考えください。「地上にある肢体を死なせたとき[3]」、あなたの中にある大地は消滅します。その時にはもはや、大地は自分に固有な業を働きません。その時にはもはや、義人たちに「肉の業」は生じません。  肉はその業によってかつては隆盛をみていましたが・・・。その時にはもはや、「姦淫」もありません。もはや「猥褻」もありません。「好色」もありません。「偶像礼拝」もありません。「魔術」やその他のものもないのです[4]。さらに救い主はこう言われております。「なぜあなた方は、私が地上に平和をもたらすために来たと考えるのか。私が来たのは、平和をもたらすためではなく、剣を投げ込むためである[5]」と。たしかに救い主が来られる前には、剣は地上にありませんでしたし、「肉は、霊に逆らって望んで」おりませんでした。また「霊も、肉に逆らって望んで[6]」はいませんでした。ところが救い主が来て、私たちが、何が肉に属し、何が霊に属するものであるかを教えられたとき、その教えは、地に投げ込まれた「剣[7]」のように[8]、肉と大地とを、霊から切り分けたのです[9]

 「大地が滅ぼされる[10]」のは、「私たちがイエズスの死に瀕した状態を身体のなかに帯びている[11]」とき、私たちがもはや「肉に従って生きる[12]」のではなく、霊が生きるとき、私たちが「肉のなかに」何も蒔かず、すべてを「霊のなかに」蒔き、肉に由来する「滅びを刈り取ら」ずに、「霊から永遠の生命を刈り取る[13]」ときであります。



[1] Jr.12,11.

[2] Cf.Hom.Jr.VIII,2.

[3] Cf.Col.3,15.

[4] Ga.5,19-20.

[5] Mt.10,34.

[6] Cf.Ga.5,17.

[7] Jr.12,12.

[8] Cf.Jr.12,12;Com.Jn.I,32(36), §229;VI,58(37), §297; Hom.Lv.XVI,7;Hom.Gn.III,6; Hom.Jos.XXVI,2;Com.Mt.XV,4.

[9] He.4,12.

[10] Jr.12,11.

[11] Cf.2 Co.4,10.

[12] Cf.Rm.8,13.

[13] Cf.Ga.6,8.

 

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