次に、腰帯に関する事柄を見てみましょう。「主はこう言われる。『行って、麻の帯を手に入れ、それを腰に締めなさい。そして水に入ってはならない』。私は、主のみ言葉に従って帯を手に入れ、それを私の腰に締めた。また主のみ言葉が私に臨み、次のように言われた。『あなたの腰に締めた帯を取り、立ってユーフラテスに行き、そこで帯を岩の穴に隠しなさい』[1]」。(預言者エレミアは)数日後にそこへ行き、その腰帯が腐っているのを見た。そして主は、この腰帯の解釈の手がかり[2]を与える言葉を付け加えて言われました。「人が帯を自分の腰に結びつけるように、私は、イスラエルの家とユダのすべての家を私自身に結びつけたと主は言われる。そして彼らが、私にとって名誉ある民、誇り、栄光になるようにした。しかし彼らは、私に聞き従わなかった[3]」と。したがって預言者(エレミア)は、あたかも神が民を(ご自身の腰に結びつけ)かのように、麻の帯を自分の腰に締め、神の代わりをしたのです[4]。実際「神は、この家をご自分に結びつけた[5]」と言われています。まさに民は、神の腰帯になったかのようであります。しかしなぜ、彼は自分の腰のまわりに締められた神の腰帯になったのでしょうか。『エゼキエル書』を読むことができ、神が理屈の上でいわば身体を帯びられることを知っている人は[6]、どのようにして(身体をお取りになった)神の腰から下の部分が火で、腰から上の部分が琥珀なのか、またなぜ神の下の部分が火なのかをご検討ください[7]。腰に由来するものは、生殖[8]にかかわる事柄でもあり、それらは火なのです。実際、生成[9]のもとにあるすべてのものは、火による清めを必要とします。生成のもとにあるすべてのものは、懲らしめを必要としているのです[10]。他方、腰から上の部分は、生成を超越しているもので、それらは、この世の中でもっとも清くもっとも高価な<琥珀>のような物質です。実際、琥珀は、金よりも貴重なものだと言われています。ですから聖書は、神の身体の上部がより尊く、(神の)身体の下部はより劣ったものであることを教えるために、具体例を取り上げ、火と琥珀から構成される神(の身体)を導入したのです。私たち一人ひとりは、生成のもとにあって、火ですが、しかしそれでも神の身体です。私たちは琥珀ではありません。しかし、もしも私たちが向上し進歩すれば[11]  実際、私たちは、下方にある今日の状態から、神の身体の上部になるために変わることができるのです  もしも私たちが火を過ぎ越していけば[12]、私たちは、神の身体のより高尚な部分にある琥珀となるでありましょう。



[1] Jr.13,1-4.

[2] avformh. th/j e`rmhnei,aj

[3] Jr.13,11.

[4] Ouvkou/n o` profh,thj avnti. tou/ qeou/ paralamba,netai perizwnnu.j peri. th.n ovsfu.n auvtou/ to. peri,zwma to. linou/n( w`j o` qeo.j to.n lao,n)

[5] Cf.Jr.13,11.

[6] ~O duna,menoj avnaginw,skwn to.n VIezekih.l kai. o`rw/n to.n qeo.n tw/| lo,gw/| oi`onei. swmatopoiou,menon.

[7] Cf.Ez.1,27.

[8] ge,nesij

[9] ge,nesij

[10] Cf.Hom.Ez.I,3 (GCS 33, p.323.19); Sel.Ez.I,26 (PG 13, 769D-772A) et cf.Com.Mt.XV, 23.

[11] avnabai,nwmen kai. proko,ptwmen

[12] diaba,ntej

 

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