12  「おまえたちは、わたしたちの神なる主に栄光を帰せよ、暗くなる前に、お前たちの足が暗闇の山々でく前に[1]」。ある山々は暗黒であり、<ある山々は光り輝いております>。しかしどちらも山ですから、いずれも標高があることに変わりはありません。光り輝く山々とは、神の聖なるみ使いたち、預言者たち、「しもべ」のモーセ[2]、イエス・キリストの使徒たちです。これらすべては、光り輝く山々であります。そしてわたしは、『詩編』のなかで語られているのはこのような山々であると思っています。『詩編』には、「かれの基は、聖なる山々にある[3]」とあります。では、「暗黒の山々」とは、どのようなものでしょうか。それは、「神の知識に逆らって思い上がったこと[4]」を掲げる者たちです。悪魔は、暗黒の山であり、<破壊に専念するこの世の支配者たちは[5]>暗黒の山、救い主が「あなたがたはこの山に向かって言え[6]」と仰せられた癲癇の山は悪霊だったのであり、暗黒の山だったのです。実際、癲癇についての議論が起こり、弟子たちが「なぜ、わたしたちはそれを追い出すことができなかったのでしょう[7]」と言ったとき、救い主はこうお答えになりました。「もしもあなたがたが、からし種ほどの信仰を持っているなら」、あなたがたが問題にして尋ねている「この山に向かって言いなさい」。「この山に向かって、『ここからあそこに移れ』とあなたがたは言いなさい。そうすればこの山は移るだろう[8]」。人間のいる「ここから」、それに固有の場所である「あそこへ」[9]

ですからつまずく人たちは、光り輝く山々に躓くのではなく、暗黒の山々に躓くのです。そこときかれらは、暗黒の山々である悪魔やその使いたちとともにいるのです。「そしてお前たちは光を待ちなさい[10]」。さて、「お前たちは、わたしたちの神である主に栄光を帰しなさい」という言葉に、<「お前たちは光を待ちなさい」>という言葉を、確かに結び付けることができます。もしも、「お前たちは、わたしたちの神である主に栄光を帰せよ、暗くなる前に、お前たちの足が暗闇の山々でく前に[11]」ということであれば、たとい暗くなっても、「あなたがたが光を待ち」、光があなたがたを迎えてくださるのは明らかです。しかし他の人はこう言うかもしれません    ただしかれが健全に考えているかそうでないかは、わたしにはわかりませんが    「暗黒の山々に[12]」躓いた人たちも、暗黒の山々の傍らで、憐れみの光[13]を待つであろうと。

これが、「お前たちは光を待ちなさい」ということであろうと思われます。しかしもしも誰かが暗闇の山に行ったなら、そこに何があるのか、わたしたちは見てみましょう。「<そこには>死の陰がある[14]」のです    暗黒の山々のあるところ、そこには、他ならぬ暗黒の山々によって生み出された死の陰があるのです    「そして(それらの山々は)暗闇に変えられる[15]」のであります。



[1] Jr.13,6.

[2] Nb.12,7.

[3] Ps.86,1; cf. Hom.Nb.XV,1.

[4] 2 Co.10,5.

[5] Cf.1 Co.2,6.

[6] Mt.17,20.

[7] Mt.17,19.

[8] Mt.17,20.

[9] Cf.Com.Mt.XIII,7.

[10] Jr.13,16.

[11] Jr.13,16.

[12] Jr.13,16.

[13] to. tou/ evle,ou fw/j

[14] Jr.13,16.

[15] Jr.13,16.

次へ