もしもあなたが、たとい罪人たちが治療の見込みもない者として見捨てられようとも、かれらは他の人々の教育のために懲らしめられるのだという証拠を、聖書から得たいとお望みになるのであれば、『箴言』のなかでソロモンが言っている言葉をお聞きください。こうあります。「疫病が鞭打たれると、愚かな者は賢くなる[1]」。ソロモンは、鞭打たれる者が、その鞭打ちによって賢くなり思慮深くなると言ったのではありません。そうではなくてかれは、疫病に加えられる鞭打ちによって、愚かな者が無思慮から思慮深さに変わると言ったのです。実にこれが、ここで言われる賢さという言葉によって意味されていることなのであります。愚かな者は、他の人たちが鞭打たれるのを見ることによって変わるのです。ですから、もしもわたくしたちが他の人たちの懲罰によって救いを得るにふさわしい者であるとすれば、他の人たちの懲罰はわたしたちにとって益となります。そしてイスラエルの罪が諸国の民の救いに役立ったのと同じように[2]、懲罰は、他の人たちの救いに役立つことでしょう。そのようなわけで、慈しみ深い神は[3]、「わたしはかれらが滅んでも、惜しまず、憐れまない[4]」と言われるのです。



[1] Pr.19,25.

[2] Cf.Rm.11,11.

[3] avgaqo.j w;n o` qeo,j

[4] Jr.13,14.

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