16  「私は独りで座っていました[1]」とあります。ここに述べられている言葉は、建徳的です。罪人たちが大勢いて、しかも彼らが、正しく生きる義人を容認しないときは、邪悪の集いを逃げて、「私は独りで座っていました」と言う人に見習うことや、エリアを見習うことは馬鹿げたことではありません[2]。エリアはこう言っています。「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの生け贄の祭壇を壊しました。私は独りだけ残りました。そして彼らは、私の魂までも奪おうとしました[3]」と。しかしもしもあなたが、「私は独りで座っていました」という言葉をもっと深く検討しますなら、奥深い預言に相応しい何らかの理解[4]を見出すでしょう。私たちが多くの人の生活を見習ってしまい、彼らに比べて優れた選りすぐり自分自身を彼らから遠ざけないなら、私は、「独りで座っていました」と言うことができません。むしろ私は、多くの人々と共に座っていたのです。これに対して、私の生活が模倣しづらいものとなり、私が、生活習慣と言葉、行いと知恵の点で私と並ぶものが誰もいなくなるくらいの人物になる場合には、私だけがそのような人物となり、誰も私を見習わないのですから、私は、「独りで座っていました」と言うことができるのです。

ですからあなたは、ご自分が長老でなくても司教でなくても、また教会の何らかの役職の点で尊ばれていなくても、「私は独りで座っていました」と言うことができ、「独りで座る」ことを熱望し、「私は独りで座っていました[5]」と言える生活を送ることができるのです。「なぜなら私は苦渋に満たされたからです[6]」とあります。「命へと到る道が細く狭いものである[7]」なら、あなたは、この世の生活の中で苦渋に満たされなければなりません。そして(この世の)甘美さをいささかも味わうことができなくなるようにならなければなりません。それともあなたは、あなたの祭りが苦菜と共に行われることを知らないのですか。実際、あなたが祭りを祝うとき、(聖書は)「菜と共に、種なしパンを食べよ[8]」と言っています。神のために祭りを祝う者は、「苦菜と共に種なしパン食べなければならない」と言う言葉は何を意味しているるのでしょうか。使徒は、種なしパンについて説明しました。そしてその解釈は、私のものではありません。また(私によって引き出される)この解釈の帰結は、使徒の説明と必然的に似たものでなければなりません。使徒は、種なしパンに関する事柄を説明して次のように言っています。「私たちは古いパン種や悪意と邪のパン種で祭りを行うのではなく、誠実と真理の種なしパンで祭りを祝いましょう[9]」と。苦菜についての説明は、種なしパンが誠実と真理の種なしパンであることに一致させて与えられなければなりません。とにかくあなたは、誠実さと真理を持って下さい。そうすればあなたには、苦菜があるでしょう。そしてあなたは、苦菜と共に誠実と真理の種なしパンを食べるでしょう。パウロにしても同様で、彼は誠実と真理の種なしパンを食べたので、苦菜も食べることになったのです。ではどのようにして、彼は苦菜を食べたのでしょうか。彼はこう言っています。「私は真理を語ったので、あなた方の敵になった[10]」と。どうして彼は苦菜を食べたのでしょうか。「苦労に苦労を重ね、たびたび眠らずに過ごし、飢えたり喉が渇いたりしました[11]」と言っています。その他のことについては言うに及びません。これこそ苦菜を伴った真理、苦菜を伴った種なしパンではないでしょうか。

ですから律法は、「あなた方は、苦菜と共に種なしパンを食べなさい」と言ったのです。この律法は――他の事柄について「あなた方は食べなさい。そうすれば満ち足りるだろう[12]」と言われているように――あなた方が満ち足りるまで苦菜と共に種なしパンを食べなさいと言ったのではありません。預言者は、(律法よりも)さらに先へ踏み込んで言っています。すなわち預言者は、苦菜を食べたとは言いません。「私は苦菜に満たされた」、私は力を尽くして、諸々の苦い事柄に参与した、こうして私は苦菜に、飽き飽きするほど与ったと言ったのです。



[1] Jr.15,17.

[2] Il arrive en effet que la lettre de l’Écriture soit absurde. Origène en indique des exemples dans De princ.IV,3,1-4; GCS 22, 323,17s.

[3] Rm.11,3; 1 R.19,14.

[4] tina. a;xion nou/n ba,qouj profhtikou/

[5] Origène fait allusion aux prêtres et à l’évêque, parce que dans les assemblées ils étaient assis et séparés de l’assistance (dans la solitude).

[6] Jr.15,17.

[7] Cf.Mt.7,14.

[8] Ex.12,8.

[9] 1 Co.5,8.

[10] Ga.4,16.

[11] 2 Co.11,27-28.

[12] Jl.15,10.

 

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