ですから、このような火の材料を持っているわたしたちは皆、「先ず」わたしたちの諸々の罪の報いを受けることになるのです。しかし聞き手の皆さんの中には、次のように言う人がいるでしょう。すなわち、「二倍にして[1]」<という言葉>も説明して下さいと。たしかにわたしは、「先ず」諸々の罪の報いを受けますが、それはわたしが罪の報いを受けた暁には、その後で使徒の書簡に言われていることが成就するためなのです。こうあります。「もしもある人の業が燃やされれば、その人は損害を受けます。しかし彼は、火の中を潜り抜けてきたかのように救われます[2]」と。しかしどうしてわたしは、諸々の罪の報いを「二倍」も受けるのですか。このように言う人がいるでしょう。これに対しては、「主人の意図を知っていながら、主人の意図に従って行なわなかったしもべは」、数回ではなく「数多く鞭打たれるだろう[3]」と応えなければなりません。罪を犯した諸国の民の出身者の人たちは自分たちの罪の報いを一回受けるのがふさわしいのですが、わたしたちはわたしたちの落ち度に対して二倍の報いを受けるのがふさわしいことなのです。実際、「もしもわたしたちが真理の知識を得た後で罪を犯すなら、諸々の罪のための生け贄はありません。ただ裁きの恐ろしい期待と、敵対する者どもを焼き尽くす火の熱があるだけなのです[4]」。

  さて、釣り上げられる人たちと、狩り出される人たち、そして「先ず二倍の」罪の報いを受ける人たちについて預言されました。次に、諸国の民の召し出しが一層明らかに預言されます。しかし彼らは、召し出されるのではなく、召し出されていた民でした。彼らは、何を告白し、何を感謝してよいかわかりませんが、既に学んでいた民です。実際わたしたちは、かれらが先ず召され、釣り上げられ、狩り出されたのを知っていますが、彼らは次に告白しなければならないのです。



[1] Jr.16,18.

[2] 1 Co.3,15.

[3] Cf.Lc.12,47.

[4] Hb.10,26-27.

 

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