ではわたしたちは、「うずらは声を上げて、自分が産まなかったものを集めた[1]」という言葉から始めてみましょう。悪魔は、自分自身の被造物を集めるのではありません。自ら産んだものを集めるのではありません。かえって悪魔は、声を上げたとき、他のものの被造物を集め、それを自分のものとするのです[2]。「うずらは」、ヴァレンティノスを通して「声を上げました」。マルキオンを通して声を上げました。バシレイドスを通して、すべての異端者たちを通して声を上げたのです。実際、彼らの内の誰一人として、イエスの声を上げることはできませんでした。「わたしの羊はわたしの声を聞く[3]」とあります。イエスの声は、パウロとペトロの内にあります。それでパウロは、「もしもあなたがたが、わたしの内にキリストが語っておられることの証拠を探しているのなら[4]」と、言っていたのです。うずらが自ら産まなかったものを集める声は、信じる者たちの内でより単純な人たちを、その純粋さと準備不足の故に迷わし欺く(異端)者たちの内にあるのです。

  ですから「うずらは声を上げ、自分が産まなかったものを集め、自分の富を作ったが、判断に欠けていた[5]」。うずらは豊かになりました。ご覧ください、何万人もの人々がうずらのものとなっております。多くの人たちが敵対する霊的存在者であるうずらのものとなったのです。そしてうずらは、判断を気に掛けることもなければ、判断を持つこともなく、自分の富を作りました。かえってうずらは、判断なしで振る舞ったのです。それで、うずらは、「自分の富を作ったが、判断に欠けていた」と言われているのです。しかしわたしの救い主は、判断を持ってご自分の富をお作りになります。<救い主の>富は、判断され、選び出されたものなのです[6]



[1] Jr.17,11.

[2] Cf. Hom.Ex. I, 5 (GCA 29, p.153, 15).

[3] Jn.10,27.

[4] 2 Co.13,3.

[5] Jr.17,11.

[6] Cf. 1 P. 2,9.

 

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