10 「私の民は私を忘れたので、彼らは空しく香をたいた」。罪を犯す人は皆、神を忘れているのです。しかし義人は言います。「これらのことがすべて私たちのもとに臨みましたが、私たちはあなたを忘れませんでした。またあなたの契約に背いて不正を働きませんでした」。しかしあの民は、本当に神を忘れて、空しく香をたいたのです。ここで、「彼らは空しく香をたいた」という言葉がどういうことなのかを理解しなければなりません。ただいま詩編について言われたことを取り上げてみますと、「彼らが空しく香をたいた」ということがどういうことであるかを、私たちは理解することができるでしょう。詩編には、何かしら次のようなことが言われていました。「私の祈りが、あなたのみ前でたかれる香のようになりますように」。したがって私の祈りは、繊細な心の繊細な思いによって出来上がった繊細な祈りであるならば、私たちの心が鈍くなっていなければ、神のみ前にたかれた香のように上にのぼっていくようになるのです。ですから、もしも義人の祈りが神のみ前の香のであるとすれば、不正な人の祈りも香となりますが、香について、そして祈りを捧げる不正な人について言われたような香となるでしょう。「彼らは、空しく香をたいた」と。たとえばユダについてこう書かれています。「彼の祈りが罪となりますように」。あの民は、祈りにおいて空しく香をたいたのです。

しかし空しく香をたく人は誰であるかを、更に次のように理解してみましょう。「一年に三度、お前の男子はすべて、お前の神なる主の前に姿を現わさねばならない」と言われています。この言葉に続けて、直ちに次のように言い添えられています。「空しい男が私の前に姿を現わしてはならない」。ですから姿を現わしに来た人たちの内で・・・(以下欠落)・・・。

 

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