二つの民についての説明に続いて、すなわち一方では脅迫が与えられた民、他方では約束が与えられた民についての説明に続いて、――明らかに前者の民に対して――次のように言われています。「そして私は今、ユダの男たちと、イスラエルに居住する者たちとに言った。このように主は言われる。『見よ、わたしはお前たちに対して諸々の禍を作る』と[1]」。わたしがお前たちに対して作るものは、わたしの手の中にあるのだから、それはこぼれ落ちることができる。わたしがお前たちに対して作る諸々の禍を変えて、諸々の善きものを作るために、あなたがたはそれらの諸々の諸々の禍をわたしの手からこぼれ落とさせなさい。あなたは、「見よ、わたしはお前たちに対して諸々の善きものを作る」とか、それに類する言葉が続いて言われ、その次に、神が作った諸々の善きものを手放し、それらを諸々の禍にすることを明示するのを、見出さないでしょう。むしろ神は既に言われた例[2]に即して諸々の禍を作り、また諸々の禍を作ることによって――「(陶工は)わたしの両手から落とした[3]」について与えられた解釈を抜きにして――それらが落ちても、作り出された諸々の悪の結末がどのようなものかわたしには思いもつきませんが、その結末が起こらないように神は取り計らっているのです。



[1] Jr.18, 11.

[2] Jr.18, 4.

[3] Cf. Jr.18, 4.

 

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