第6講話

主よ、あなたの目は、信仰に向けられていますから、「私は、力のある者たちのところへ行き、彼らに語ろうまで


 

 

  「主よ、あなたの目は、信仰に向けられています[1]」と、(エレミアは)言っています。実際、主が彼ら(エルサレムの人たち)を悪行から立ち返らせるために、主の目は信仰に向けられます。それは、彼らを不信仰から立ち返らせるためであります。それゆえ、祈りのなかで何を言うべきかを理解している人は、次のように見事に言ったのです。「主よ、あなたの目は信仰に向けられています」。

  このようにこの個所には書かれています。「主よ、あなたの目は信仰に向けられています」。しかし「知恵ある人が聡明な言葉を聞けば、その人はその言葉をほめたたえ、その言葉に(その人の持てるものを)付け加える[2]」わけですから、あなたは、この「主よ、あなたの目は、信仰に向けられています」という言葉から、どれほどのことが言えるかお考えください。パウロはこう言っております。「だから引き続き残るのは、この三つ。信仰と希望と愛。そのうちもっとも優れているのは、愛[3]」。主の目が信仰に向けられているように、主の目は希望に向かい、主の目は愛に向かっているのです。そして霊は、「力と愛と慎みの[4]」霊ですから、主の目が愛に向けられているように、主の目は力に向かい、主の目は慎みに向かい、「主の目は、正義に注がれる[5]」のです。同様に、主の目はすべての徳に向かっています。ですから、もしもあなたが、主の可知的な目の光線が自分にも届くこと[6]を望むのであれば、あなたは、諸々の徳を身につけなければなりません。そうすれば、「主よ、あなたの目は、信仰に向けられています」という言葉のように、あなたの獲得する善の一つひとつに対して、「主よ、あなたの目は注がれる」ことになるのであります。そしてもしもあなたが、主の目があなたに輝くほどになったなら、あなたは必ずや、「主よ、あなたのみ顔の光は、私たちにしるされました[7]」と言うことでしょう。



[1] Jr.5,3.

[2] Si.21,15.

[3] 1 Co.13,13.

[4] 2 Tm.1,7.

[5] Cf.Ps.33,16.

[6] ta.j a,kti/naj tw/n nohtw/n o,fqalmw/n tou/ qeou/ fqa,nein e,pi. se,

[7] Ps.4,7.

 

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