このようにして(神は)「諸々の雲を地の果てから上らせ、稲妻を作って雨を降らせ、ご自分の倉から諸々の風を出された」のです。私たちも、神のおかげで、これらの倉にたどり着けることを希望しております。そしてたくさんの倉のようなものがある<のですから>、たぶん神の諸々の倉には、復活した人たちの順番に従って、(さまざまな)安らぎがあることでしょう[1]。私が申し上げたいのは、次のようなことであります。すなわち死者の復活は、ある順序に従ってなされます  実際、使徒は、「しかしおのおの自分の順番に従ってのことです」と言っております。  そして(それぞれの)順位はでたらめに結びついているわけではありませんから、ある順位は神のある倉にあり、またある順位は神の他の倉にあり、また第三の順位はその他の倉にあるということになるでしょう。しかし、これらすべての倉には、一つの倉があって、それらはみなその一つの倉のなかにあるのです。それで、パウロ書簡には、こう言われているのです。「知恵や知識の諸々の宝は、この方の内に隠されている[2]」と。そして、私がたくさんの真珠をとおして「一つの高価な真珠[3]」を獲得するのと同じように、私は、神の諸々の倉に由来する数々の息吹に相応しい者となったとき、諸々の倉の倉、「諸々の主の主、諸々の王の王[4]」にたどり着くのです。たしかに神は、「ご自分の倉から諸々の風を出された」のです。



[1] ta,ca kata. ta,gmata tw/n avnistame,nwn e;sontai avnapau,seij evn toi/j qhsauroi/j tou/ Qeou/)

[2] Col.2,3.

[3] Mt.13,46.

[4] Ap.17,14;19,16.

 

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