L. I (III)

 

「どうして全地の金槌は砕かれ、壊されたのか。どうしてバビロニアは滅ぼされたのか」と書かれている箇所から、「あなた方は、彼の業に応じて彼に報いよ。そしてあなた方は、彼の行ったすべてのことを、彼に対して行え。なぜなら彼は、イスラエルの聖なる神・主に逆らったからだ」と言われている箇所まで。

 


 

 

 

 「どうして全地の金槌は砕かれ、壊されたのか。どうしてバビロニアは滅ぼされたのか[1]」と言われています。さてこれらの言葉について、全地の金槌が何であり、またその金槌は、壊される前に砕かれるとありますから、どのような破壊が預言されているのか、探求せねばなりません。そしてそのために私たちは、別の箇所で金槌について書かれていることを集め、その名前を見出したなら、その名前の意味を私たちが引き合いに出した例の中から探求することにしましょう。『列王記上』によれば[2]、かつて神の家が建設されました。そしてソロモンが、それを建設し建立しました。また同書では、神の家を賛美するかのように、「金槌や斧の音は、神の家で聞こえなかった[3]」と言われています。ですから金槌の音が神の家で聞かれないのと同じように、神の家は教会ですから、教会の中でも金槌の音は聞こえません。この金槌は何でしょうか。この金槌は力を尽くして神殿の建設の石を妨げ、これを壊して神殿の土台に相応しくないものにしようとしているのです。どうかあなたは、この全地の金槌が悪魔それ自身ではないかお考えください。しかし私としては、全地の金槌にあまり頓着しない人が存在すると[4]、自信をもって言いたいと思います。感覚的な金槌の例が引かれましたので、私は、その金槌によって打たれてもまったく害を受けない、その金槌よりも強靭な物質を探したいと思います。そのような物質を探して見ますと、私は次のように書かれている箇所に(それを)見出します。こうあります。「見よ、男がダイヤモンドの城壁の上に立っている。そしてその手にはダイヤモンドがある[5]」。ところで歴史は、ダイヤモンドが、打ちかかるあらゆる金槌よりも強く、壊されず無傷のまま留まると報告しております。たとえ悪魔が金槌として上に立ち、(その)下に、「展性のない金床[6]」の如き竜が置かれていても、主のみ手の内にあり、主のみ前にあるダイヤモンドは、何の害も受けません[7]。したがって二つの物がダイヤモンドに対立しています。一つは金槌、もう一つは展性のない金床です。異邦人の間にも、日常語でよく使われているある言い回しが存在します。それによると、諸々の不安や大きな禍に圧迫された人たちについて、彼らは、金槌と金床の間にいると言われています。しかしあなたは、この言葉を、聖書の中で常にこのような名前で示されている悪魔と竜に向けてください。そしてダイヤモンドの城壁のような、あるいは主のみ手の内にあるような聖人は、金槌にも金床にも頓着せず、かえって打たれれば打たれるほど、その徳をますます多く輝かすと言ってください。人々の言うところによると、石の商いをする人たちは、石が金槌と金床によって試されない内は、それがダイヤモンドであることを知ることができないので、それを試そうとした場合、それが正真正銘のダイヤモンドであると確信するのは、その石が金床と金槌の間で無傷で残り、上にある金槌と下にある金床の板挟みにあって打たれても、その石のより硬い本性が動じない場合です。諸々の誘惑の前に立たされた聖人とは、そのような人です。石を試すことのできない人によっては、(その本性は)知られません。ただ神だけが、多くの人たちによっては知られていない(ダイヤモンドという)金剛石の本性をもっとも確実に知っているのです。私自身としては今のところ、金槌が襲い掛かって私を打ち、私が砕かれ壊されて、私はダイヤモンドではないと確信するのか、それとも降り掛かる諸々の迫害や危険、誘惑にもめげず、金槌の打撃によって壊されることなく、真価を試されて、私が本当に真のダイヤモンドであることが明らかにされるのか、分かりません。あなたもみずから聖書を通覧して、金槌が打たれるべきものを打つと神が約束している何らかの痕跡を探すことができないか探求してください。たとえば(聖書に)こう言われています――より難解な事柄を理解するには、例を挙げるべきです――。もしも金槌がなければ、律法に従って神の荘厳な祝祭を盛り上げたり、その響きを聞く人の魂を戦いへと駆り立てたりする「打ち出し作りのラッパ[8]」もないと。打ち出し作りのラッパを作るには、金槌が必要です。この金槌は、パウロという打ち出し作りのラッパを作るのに大いに貢献しました。なぜならこの金槌は、様々な試練を通して彼を作り出したからであり、彼が打たれても無傷であり、聞く人たちを戦陣へと備えさせる確かな音を鳴らすラッパの姿を取ることを保証したからです[9]

 そして金槌が敵対する霊的存在であり、竜が展性のない金床であることがわかりました。そこで私はいつものように、聖書の中から似たような言葉、すなわち青銅の金槌やその他それに類する物質を取り上げて見ますと、次のような表現に出会います。すなわちカインは、息子たちを産んだ。そしてカインから、「青銅と鉄を鍛造する鎚工」が生まれた[10]、とあります。それゆえすべての誘惑を作り出す悪魔が金槌といわれるように、悪魔に仕えるものは、カインの息子、鎚工なのです。あなたは誘惑に陥ったならば、その度ごとに、金槌が悪魔であること、そして鎚工は、悪魔があなたを追跡するための代理人であることをお知りおきください。たとえば救い主が裏切られたとき、金槌は悪魔であり、鎚工はユダでした。主が苦しみを受けたとき、多くの鎚工がいました。彼らは、そのような男は地から「滅ぼせ、滅ぼせ[11]」、「彼を十字架につけろ、十字架につけろ[12]」と叫びました。万事につけて鎚工が潜んでいます。各自の行いにおいて悪魔を受け入れ、彼に仕え、不正を是認し正義を非難する人は皆、鎚工です。それゆえあなたは、たとえ昨日は鎚工であり、手に金槌を持っていたとしても、鎚工たちはカインから生まれることを今や学んだのですから、あなたの手から金槌を投げ出して、霊的なもっとよい生まれに移ってください。セトやエノシュ、あるいは聖書が賛美している他の人たちの生まれに移ってください[13]

 しかしながら金槌の末路は、粉砕であり破壊なのです。次のことを知っておかなければなりません。すなわち悪魔としての金槌は、ここで、地の一部の金槌として預言されているのではなく、全地の金槌として預言されているのです。そしてその悪意は全地に拡散しており、その金槌は至る所で悪を働いているわけですから、全地という言葉は文字通りに[14]受け取られねばならないということです。さらに次のことを言わなければなりません。すなわち悪魔は全地の金槌であって、天の金槌ではないということ、またこの金槌は、軽妙な物質からなるものではなく、鈍重な物質からなっているということです。もしもあなたが「地の像[15]」を担っているとすれば、あなたは地に属していますから、金槌はあなたを打つことになります。もしもあなたが罪を犯し、「地となり、地に向かうなら[16]」、あなたは、いまだにあなたの中に働いている全地の金槌を体験するでしょう。またこの理解に従うなら、次のことにも注目すべきです。金槌は、地に属するすべてのものに対してその力を行使していますから、悪魔ですが、そればかりか全地に属する金槌ではなく、いわば地の一部に属するより小さな金槌があることに気づくことができるのです。実際、何らかの一つの敵対する霊的存在者が、私と対立し、私に戦いを挑んでも、その霊的存在者は、悪魔のようにすべての人を相手に同時に闘う力はありませんから、それは私の内の金槌であって、全地の金槌ではありません。それはいわば、(ちっぽけな)私の地の金槌に過ぎないのです。しかし全地の金槌は、砕かれ破壊されるとすれば、地の一部の金槌については、いったい何を考えなければならないでしょうか。私はすぐに賞賛に値することを考えます。すなわち全地の金槌がこなごなに粉砕されるということです。(それに比べれば)、地の一部の金槌が砕かれ破壊されるのは、大したことではありません。むしろいま、本当に賞賛に値することは、全地の金槌が砕かれ破壊されることなのです。



[1] Jr.27,23.

[2] Cf.1R.6,1.

[3] Cf.1R.6,7.

[4] 聖人のことである。

[5] Am.7,7.ダイヤモンドの言語はadamans。鋼鉄や鋼という意味もあるが、ここでは文脈上、ダイヤモンドとした。なお、オリゲネスは、オリゲネス・アダマンティノス(鋼鉄のオリゲネス)とも言われる。

[6] Jb.41,16.

[7] Cf.Sg.3,1.

[8] Nb.10,1 et 10,9-19.

[9] 1Co.14,8.

[10] Cf.Gn.4,22.

[11] Jn.19,15.

[12] Lc.23,21.

[13] Cf.Gn.5,6s.

[14] simpliciter

[15] 1Co.15,49.

[16] Cf.Gn.3,19.

 

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