さらに別の節[1]が続きます。それは次のような内容です。「バビロニアの地から逃れ、救われた人たちの声がする。私たちの神なる主から来る報いをシオンにおいて告げ知らせるために[2]」。エレミアは、イア、父祖の風習や諸国の民の掟、古来の不信人を後に残して[3]、神の言葉の許に来た人たちについて預言しています。「バビロニアの地から逃れ、救われた人たちの声」という言葉の中に、何かしらそのようなことが意味されています。洗礼志願者の皆さん、バビロニアから逃げ、諸々の悪徳から逃げ、諸々の罪から逃げた人たちの声が、あなた方の声となりますように。「バビロニアの地から逃げる」だけでは十分ではありません。「バビロニアの地から救われて、シオンにおいて、私たちの神なる主から来る報いを告げ知らせ」なければなりません。それは、あなた方がバビロニアの地からシオン、すなわち見張り台[4]、すなわち教会に到り、シオンにおいて、すなわち教会において、私たちの主から来る報い、その民の報いを告げ知らせるようになるためです。

 「バビロニアにいる多くの人たち、弓を張るすべての人に、あなた方は告げよ[5]」とあります。「多くの人たちに」という言葉が置かれているのには意味があります。すなわち、バビロニアにいる人たちは多くいますが、エルサレムにいる人たちは少ないのです。「実際、あなた方の神なる主があなた方を愛したのは、あなた方が多くいるからではない。実にあなた方が、諸国のすべての民よりも少ないからだ[6]」と言われているからです。確かに、主の側にいる人たちに「あなた方は、諸国のすべての民よりも少ない」と言われることは正しいことです。さらにあなたは、次の言葉、「救われる人は少ない[7]」、また、「あなた方は、狭い門から入るように努めなさい[8]」という言葉をお考えください。

 しかしあなた方は、「広く、開かれた門の中で[9]」「バビロニアにいる多くの人たち、弓をはるすべての人に告げなさい。バビロニアに救われる人はいないと[10]」。あなた方は、バビロニアに属するすべてのものを滅ぼし、殺しなさい[11]。私たちは、最近[12]、バビロニアの「子どもら[13]」について、バビロニアの男について、また「バビロニアの種[14]」について話をしました。

 ですからバビロニアには、救われる人はいません。「あなた方は、バビロニアの業に応じて、それに報いなさい。そして、それが行ったすべての事柄に即して、それに行いなさい。なぜならバビロニアは、主に逆らい、イスラエルの聖なる方である神に反逆したからだ[15]」。あなたは、あなたの中に敬神と真の信仰に逆らう邪悪な諸々の考えを持っている限り、あなた自身の中にバビロニア人たちを持っているのです。しかしあなたは、報いを遂行し、あなたの中にある地のすべての思い、すなわちすべてのバビロニア人たちを殺すべきです。そうすればあなたは、清められ、キリスト・イエスにおいて神の都エルサレム[16]に過越て行くことができるでしょう。キリスト・イエスに、「栄光と力が代々にありますように。アーメン[17]」。



[1] capitulum : ギリシア語では、kefa,laionCf.Hom.Jr.XII,7.

[2] Jr.27,28.

[3] Cf.De Princ.IV,1,1:katalipo,ntaj tou.j patrw,|ouj no,mouj)

[4] supeculatorium; cf.Hom.Jr.V,16.シオンの語源的解釈。

[5] Jr.27,29.

[6] Dt.7,7.

[7] Cf.Lc.13,23.

[8] Lc.13,24.

[9] Cf.Mt.7,13.

[10] Jr.27,29.

[11] Jr.27,16.

[12] これは、第二十講話に見出されるはずであるが、そこには見当たらない。しかしそのギリシア語断片が残されている。GCS 6, 211:「バビロニア人の男とバビロニア人の子どもがいます。そして彼らに対して、すなわち大きな苦難や、これから始まろうとする苦難に対して闘わねばなりません」。

[13] Cf.Ps.136,9.

[14] Cf.Jr.27,16.

[15] Jr.27,29.

[16] He.12,22.

[17] 1P.4,11.

 

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