L. II

 

「あなた方はバビロニアのただ中から逃げよ」と書かれていることから、「その裁きは天にまで近づき、諸々の星にまで上った」と言われている箇所まで。

 


 

 

 私たちの身体が地上の何らかの場所にあるように、(私たちの)魂も、その状態に応じて、地と同名の場所にあります。いま私が述べたことは、次のようにすればもっと明瞭になるでしょう。私たちの身体は、エジプトやバビロニア、パレスチナやシリア、あるいは他の任意の場所にあります。同様に(私たちの)魂も、地と同じ名前の何らかの場所にあります。つまりある魂はバビロニアに、ある魂はエジプトに、ある魂はヨルダンの人々の地域にあります[1]。またこのようにして、それらの魂は、聖書の表現に従って、その生活の特質に応じて、様々な場所によって区別されるのです。魂が混乱を来たし、悩まされ、平和が止んで情念の戦いを強いられ、悪意の騒乱が魂の回りに渦巻くとき、その魂はバビロニアにいます。そして既に私たちが述べましたように、そのとき魂はバビロニアにいます。そしてその魂に、次のように言う預言の言葉が向けられます。「あなた方は、バビロニアのただ中から逃げなさい。そしてあなた方は各自、自分の魂を再び救いなさい[2]」と。誰かがバビロニアにいる限り、その人は救われません。たとえその人が、その地で、エルサレムを思い起こしても[3]、うめいて言うでしょう。「異国の地で、我々はどうして主の賛歌を歌えようか[4]」と。そしてバビロニアで、楽の音に合わせて主に賛歌を捧げることは不可能ですから――実際そこでは、主の賛歌のための楽器は使われません――、預言者は次のように言っています。「バビロニアの川の辺に私たちは座り、シオンを思い出しながら泣いた。バビロニアのただ中の柳の木に、私たちは楽器を吊るした[5]」と。私たちがバビロニアにいる限り、私たちの楽器は、バビロニアの川の柳の木に吊るされています。しかし私たちが、エルサレム、すなわち平和の眺望に到るなら、以前は使われずに吊るされていた楽器が手にされるます。そのとき私たちは、絶えず竪琴を弾き鳴らし、私たちが手にした楽器で神を賛美しない時はありません。ですから初めに私たちが申しましたように、魂は常に、地と同名の何らかの場所にあるのです。そして罪人の魂がバビロニアにあるように、義人の魂はユダヤにあります。しかしながらユダヤの地にあっても、(義人の魂は)、その生活と信仰との特質に応じて様々な場所に分けられます。実際(ある魂は)ユダヤの辺境の地であるダンにあり[6](ある魂は)ダンよりも少し優れたたより善い地にあり、(ある魂は)ユダヤの中心近くにあり、(ある魂は)エルサレムの周辺にあります。そして最も幸いな魂は、エルサレムの町のただ中にある魂です。これに対して、罪を犯し、諸々の度を越えた犯罪に押しつぶされている人は、バビロニアにます。この人に比べて罪がわずかに軽く、まだ罪の最高の極みまで登っていない人は、エジプトやエジプトの諸地方に滞在しています。そしてユダヤの全住人が、同等な地所を所有していないのと同じように――実際ある人はエルサレムにおり、ある人はダンに、ある人はナフタリニ、ある人はガドの地方にいます――、エジプトにいるすべての人がいるとしても、彼らは、エジプトの同等な地域に住んでいるのではありません。ある人はタフニスに、ある人はメンフィスに、ある人はシンに、ある人はブバストスに住んでいます[7]。預言者エゼキエルは、これらの場所が諸々の神秘に満ちたものであることを声を上げて明らかにし、エジプトの諸地域の名称を説明しています[8]。これらの名称に関して、もしも読者が「霊的な人で、すべてを判断し、しかもその人自身は誰からも判断されない人であるなら[9]」、ユダヤやエジプトやバビロニアなどのより大きな地域を比喩的に解釈するだけでなく、小さな地域をも比喩的に解釈するでしょう。そしてその人は、ユダヤ(という名)において、エルサレムやベツレヘム、あるいはその他の町を象徴的に解釈するのと同様に、エジプト(という名)においても(霊的な)読者は、ディオスポリス、ブバストス、タフニス、メンフィス、シンを、事柄の理解に応じて象徴的に解釈するでしょう。「知恵あるものの誰が、それを理解するでしょうか。理解力のあるものの誰が、それを知るでしょうか[10]」。ともかく一体誰が、内的感覚を得て、聖霊の文字が内包する(聖書の)意図を知ることができるでしょうか。



[1] … alia in Ammanitarum regione. Ammanitiが何人であるかは、訳者には分からない。おそらく前出の「パレスチナ」や「シリア」の住民の総称であろう。本訳ではそのような意味で「ヨルダンの人々」と訳した。

[2] Jr.28,6 (51,6).

[3] Cf.Ps.136,1.

[4] Ps.136,4.

[5] Ps.136,1.

[6] Cf.Hom.Jos.XXV,1.

[7] Ez.30,13-18.

[8] Cf.De Princ.IV,3,9.

[9] Cf.1Co.2,15.

[10] Os.14,10.

 

 

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