10 「諸国の民はそのぶどう酒を飲んだ。それゆえ諸国の民は揺り動かされた[1]」とあります。普段通りにぶどう酒の液体を飲む人たちが、(自分の)渇き以上に度を超えて飲んだ場合、私たちはその人たちの内に、酔った人の体が動き、足がふらつき、頭やこめかみが重くなり、口が乱れ、引き締まった唇で意味ある単語や言葉を発していた舌が途切れてしまうのを見ます。同様に、バビロニアの金の杯から飲む人たちが、どのようにして揺り動かされるのか、どのようにして不安定な足取りとなるのか、どのようにして精神が弱り、思いが採り乱れ、何ごともしっかりと把握できず、常に「騒乱[2]」の中で当て所なくかき乱されているのかを見ることができるでしょう。それゆえ神的な書は、このような人々について別の箇所で、次のように言っています。「それゆえ彼らは、揺り動かされた[3]」と。(ここで)私たちは、ある神秘をご紹介しましょう。罪人のカインについて、なぜ「彼が、神のみ前を離れ、エデンの向かいのノドの地に住んだ[4]」と言われているのでしょうか。ノドは、ギリシア語では、動揺と訳されます[5]。実に、神を見捨て、神について不断に考える意識を捨てた人は、今でもノドの地に住んでいるのです。すなわちその人は、悪い心の動揺と精神の混乱の内にあるのです。



[1] Jr.28,7.

[2] turbationes: 本講話にしばしば出るバビロニアの語源的解釈である。Cf.Hom.Jr.XIX,14; L.I(III),2.

[3] Cf.Ps.47,6.

[4] Gn.4,16.

[5] Cf.Philon, De Cherub.section 12 :e`rmhneu,etai de. Nai.d sa,loj)新共同訳聖書でも「ノド」という言葉に、「さすらい」という言葉が補われている。

 

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