11 「諸国の民は飲んだ。それゆえ諸国の民は揺り動かされた。そしてバビロニアはにわかに倒れ、砕かれた[1]」とあります。いつバビロニアは、突然、倒れたのでしょうか。世の完成は「にわかに」来るだろうということを、それは預言しているように私には思われます。「人々が洪水の日に、洪水が着てすべての人を押し流すまで、食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていた[2]」とき、突然、氾濫が起こります――ロトの日にも同じ事が起こりました[3]――。それと同じように、世の完成は、徐々に来るのではなく、突然来るのです。私は、このことに、ヌンの子ヨシュアに書き記されていることを引き合わせるべきだと考えます。すなわちエリコの町は、ラッパの一声で「にわかに」倒れ、滅びました[4]。この例にならってバビロニアも、世の完成のときに倒れ、「にわかに」砕かれると、私は考えます。

 (世の)完成に関して以上のことを述べてみました。しかしもしもあなたが私の主イエス・キリストの到来に思いを馳せ、彼の偉大な業――すなわち、どのようにしてイエスが、偶像に関する諸国の民の諸々の教説を覆し、信じる人々を誤謬のくび木から解放するのか――を見るならば、あなたは、イエスのご受難のときに、バビロニアが直ちに倒れ、砕かれたのを理解するでしょう。私たち一人ひとりも各自を省みて、バビロニアが各自の胸の中で倒れたのに気づくべきです。しかしもしも誰かの心の中で混乱の町が倒れていないなら、その人の心には、まだキリストが訪れていないのです。実際キリストが来れば、バビロニアは、通常、倒れるのです。それゆえあなた方は、祈りという要塞に逃げ込んで、次のように願いましょう。イエスが、あなた方の心の中に来てくださり、バビロニアを砕き、そのすべての悪意を滅ぼして、転覆された事柄の代わりに、そして以前に建てられていたバビロニアの代わりに、あなた方の心の主導能力そのものの中に[5]、「神の聖なる都エルサレム[6]」を再建してくださるようにと。



[1] Jr.28,7-8.

[2] Cf.Mt.24,38-39; Lc.17,28.

[3] Cf.Lc.17,28.

[4] Cf.Jos.6,20.ただし、「にわかに」という言葉は、聖書本文には見出されない。

[5] in ipso principali cordis vestri: ストア派の用語で、理性を表す。

[6] He.12,22.

 

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