12 「あなた方は、彼女(バビロニア)を嘆け。あなた方は、その腐敗に松脂を塗りなさい、もしも(それが)何らかの仕方で癒されるなら[1]」とあります。(預言者は)あなた方は嘆きなさい、と言っています。そしてすべての魂は救いを得ることができますから、そして神の許では癒しがたい魂は一つとしてありませんから、神は、エルサレムへの移住と契約という松脂を受け取って、松脂軟膏を作ることができる人に――治療薬を受け取って、できるだけ熱心に、バビロニアを健康状態に戻すようにという――勧告を与えます。私たちもこのことを行うように試みましょう。そして神に願って、理性的な松脂を私たちに与えてくださり、私たちがその理性的な松脂によって、「軟膏と油と包帯[2]」を当てることを学び、サマリア人を真似て[3]、バビロニアの諸々の傷をそのようにして縛ることができるようにしていただきましょう。このことが、「あなた方は、その腐敗に松脂を塗りなさい、もしも(それが)何らかの仕方で癒されるなら[4]」ということなのです。異説者は、どこにいるでしょうか。何らかの複数の本性を導入して、救いをまったく受け取ることのできない絶望的なものが存在すると主張する人たちは、どこにいるのですか。もしも滅ぶべき本性が存在するとすれば、それは、バビロニア以外の何でしょうか。しかしながら神は、それさえもお見捨てになりません。なぜなら神は、医者たちに命じて、「バビロニアに松脂を塗りなさい、もしも(それが)何らかの仕方で癒されるなら」と言っているからです。

 ですから「バビロニアの腐敗に松脂を塗りなさい――もしも(それが)何らかの仕方で癒されるなら」という命令を受け取った人たちの中には、命じられたことを行った人たちがいます。そういう人たちは、バビロニアが健康を取り戻すこともあり得ると理解して、「その腐敗に松脂を塗った」のです。そして彼らは、自分たちの考えていたことを効果的に果たすことができなかったので――実にバビロニアは、自分自身の悪煮に頑なに留まって、癒されることを望みませんでした――、善良な医者たちは、やるべきことはやったとして、次のように言いました。「私たちは、バビロニアを治療した。しかし彼女は癒されなかった。私たちは、彼女を捨てよう[5]」と。おお、人間よ、あなたは次のことをお考えください。すなわち、神は天使たちに命じて、あなたの魂の病のために薬の松脂を準備するように――もしも何らかの仕方であなたが病気から癒され得るなら――言ったことがないのかどうか、そして天使たちは応えて、「私たちはあのバビロニアを治療しました」――それは、諸々の情念によって混乱をきたしているあなたの魂を示しています――「そしてそれは癒されませんでした」と言ったことことがないのか、あなたはお考えください。天使たちは、自分の医術の知識や松脂の力を責めてはいません。むしろ彼らは、自分たちの指図に従おうとしなかったあなたを非難して、「私たちはバビロニアを治療した。そして彼女は癒されなかった」と言っているのです。

 「私たちは彼女を見捨てよう」とあります。(天使たちすなわち)医者たちは、偉大な医者である神の下に立ち、私たちの病弱さを癒そうとし、(私たちの)魂を諸々の悪徳から解放しようと望みました。ところが私たちは、彼らの諸々の勧告に同意せず、彼らを追い返します。そして彼らは、自分たちの努力が台無しになったことを見て、互いに会話をして、こう言います。「私たちは、彼女を見捨てよう。そして私たちは各々、自分の土地に帰ろう[6]」と。すなわち、私たちは神によって、人間の魂を癒すための医薬を託されました。そして私たちは援助を押します、その医薬をあてがいました。しかしその魂は、はなはだしく頑なで、私たちが言うことを守ろうとしないので、私たちの努力は、結果を伴いません。そこで「私たちは、彼女を見捨てよう。そして私たちは各々、自分の土地に帰ろう」、すなわち各自の家のある場所と各自の仕事に戻ろう(と言うのです)。人間よ、あなたは、医者から――その医者が、神のみ使いであれ、救いの医薬をもたらすためにみ言葉という医薬を託された人であれ――見捨てられないように注意してください。もしもその医者があなたを見捨てて、「私たちは各々、自分の土地に帰ろう。なぜなら彼の裁きは天に近づいいたからだ[7]」と言ったなら、彼の退去は、治療を望まず癒しがたい者としてのあなたの断罪であることは明らかです。ところで医者があなたを見離したとき、何があなたに起こるでしょうか。それは、医者に見離された人たちに起こるのが常のこと以外の何ものでもないでしょう。すなわち、自分の病気的な思いにこだわる人たちは、もっと悪い状態に沈んでいくのです。これに類することを、賢明な医者たちは、いつもの生活習慣として行っています。彼らの内の誰かは、医術の許す限りで、そして医薬の効果がある限りで、病気の人に近づきます。ところが病気が治療を受け付けないほど悪化している場合、あるいは(病人)自身が(治療から来る)苦痛を堪えきれず、(医者から)命じられたに逆らう場合、医者はそのような人に絶望して彼を見捨て、彼が自分の手の中で息絶えて、その人の死亡の責任が自分に向けられないように立ち去ります。ですから私たちの場合にも同様で、主によって私たちを癒すように定められた聖なる天使たちの手の中で私たちが死なないようにするために、天使たちは、私たちの魂に絶望して、私たちを見捨て、こう言うのです。「松脂軟膏も油も包帯もあてがうことはできない[8]」と。

 「なぜなら彼の裁きは天に近づき、諸々の星まで上っていったからだ[9]」とあります。小罪を持っている人は、自分の裁きを天と諸々の星にまで上げることはありません。なぜなら彼は、小さく謙虚だからです。ところが罪において大きくなった人は、裁きにおいても大きくなります。また諸々の悪徳と同時に、罰が増します。そしてその人が、はなはだしく大きな罪を犯し、自分の裁きを諸々の天にまで上げ、さらにその不信心によってもっと高いところまでそれを上げると、神は、罪によって高く上げられたその人の裁きを低めるために、ご自分の裁きを発します。しかし神は、義人に対しては、キリスト・イエスにおいて、その人の生活に相応しい報いをお与えになるのです。キリスト・イエスに、「栄光と力が代々にありますように。アーメン[10]」。



[1] Jr.28,8.

[2] Cf.Is.1,6.

[3] Cf.Lc.10,33.

[4] Jr.28,8.

[5] Jr.28,9.

[6] Jr.28,9.

[7] Jr.28,9.

[8] Is.1,6.

[9] Jr.28,9.

[10] 1P.4,11.

 

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