私が以上のことを述べましたのは、単に「あなた方はバビロニアから逃げよ」と言われているからではなく、必要な付加を伴って「あなた方はバビロニアのただ中から逃げよ。そしてあなた方は各々、自分の魂を再び救え[1]」と言われているからです。先ず、バビロニアのただ中から逃げなければなりません。次に、逃げたら、各自は自分の魂を再び救わなければなりません。ところで(エレミアは)、あなた方は救えと言っているのではなく、「あなた方は再び救え」と言っています。この言葉の付加は、神秘を指し示しています。それはすなわち、私たちが、以前、救いを味わっていましたが、その後、諸々の罪のためにその救いから転落し、バビロニアに来たということです[2]。それゆえ各自は、失ったものを回復し始めるために、自分の魂を再び救わなければなりません。それは、ペトロが次のように言っている通りです。「私たちは、信仰の目標、すなわち諸々の魂の救いを取り戻しましょう。この救いについては、私たちの恵みのために預言した預言者たちも、探し求めました[3]」と。しかしながらバビロニアから逃げるのは、私たち次第です。落としたものを再び拾うのは、もしも私たちがそれを願うなら、私たちに掛かっています[4]



[1] Jr.28,6.

[2] 先在する人間の魂の天からの転落が暗示されている。

[3] 1P.1,9-10.

[4] Verumtamen in nobis est fugere de Babylone, et in nostra positum potestate, si velimus, resuscitare quod corruit; 恩恵として与えられる救いには、人間の自由意志による決断が必要である。

 

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