「バビロニアは、金の杯。全地を酔わす[1]」とあります。全地が罪に満ちていることにお気づきになれば、あなたは、どうしてバビロニアが全地を酔わしたのか(ことさら)探求することはないでしょう。ところがもしもあなたが、義人は、罪人たちの杯によって酔わないということが分かっても、聖書は、「全地を酔わす」と言うことによって嘘をついている――なぜなら義人はバビロニアって酔わされず、地の上にしかと立っているから――とお考えにならないようにしてください。あなたはお聞きください、義人は地ではないのです。もちろんあの金の杯は、全地を酔わせます。しかし義人は、たとえ地の上にいても、「その暮らしを諸々の天の中に持っているのです[2]」。それゆえ、「あなたは地である。あなたは地へ行くだろう[3]」と言うことは、もはや義人には当てはまりません。かえって、もしも敢えて語る必要があるなら、いまだに地の上にいる義人に向かって神は、こう言うでしょう。「あなたは天である。あなたは天へ行くだろう」と[4]。なぜなら義人は、「天の像を担っている[5]」からです。したがって、私が結論いたしますと、金の杯は、全地を酔わせます。すなわち私たちは皆、地である限り、その杯によって酔わされているのです。



[1] Jr.28,7.

[2] Cf.Ph.3,20.

[3] Gn.3,19.

[4] Cf.Hom.Jr.VIII,2.

[5] Cf.1Co.15,49.

 

次へ