結論

 

このように、5世紀から8世紀の間に、東方キリスト教で現れたイエズスの祈りは、ある程度公認された霊性の道(recognized spiritual way)であった。それは時に、現代西欧の著述家たちによって、「キリスト教のマントラ(真言密教)」と呼ばれたりもする。しかしこれでは、混乱が生じるだけだろう。イエズスの祈りは、たんなる旋律的な呪文ではない。イエズスの祈りは、イエズス・キリストのペルソナ・顔・人格(person)に直接向けられた喚呼・呼びかけなのである。しかもその祈りは、神の独り子にして唯一の救い主であるイエズス・キリストへの自覚的で活動的な信仰を前提にしている。しかしそれは、キリストの生涯に起こった特定の出来事を取り止めもなく散漫な黙想することではない。それは、ヘーシュキア(h`suci,a)すなわち静寂の境地へと、直観的で集注的な覚知(awareness)の状態へと、われわれを導くことを目標にしているのである。この状態においてわれわれは、もはや、われわれの心眼になにがしかの心象を結ぶことはなく、また、われわれの理性的な頭脳で諸概念を分析することもない。われわれはただ、主との直接的でペルソナ的な出会い・対面・面会(personal encounter)によって、主の直接的な現前(presence)を感知する(feel and know)のみである。エヴァグリオスはいう。「祈りは、知性と神との交わりである」。「では、知性が、脇目もせずに主に向かい、その主のもと辿り着き、そして分け隔てなく打ち解けて、主と語り合うことができるようになるには、知性は、一体どのような用意(state)をすればよいだろうか」(On Prayer,3)。イエズスの祈りが、まさにそのようなことを達成しようとするのである。分け隔てなく打ち解けて、顔と顔を合わせて主イエズスと語り合う、これが、イエズスの祈りの目標である。

 

キリスト教初期の時代に、散見されるイエズスの祈りへの言及は、後のビザンチンの霊性に影響を及ぼしたとはいえ、ところどころに散発する程度のものであった。この祈りの実践が、この時期に広く行きわたった普遍的現象であると考える根拠は、なにもない。アレオパギタのディオニュシオスによっても、証聖者マクシモスによっても、ニネヴェのイザアクによっても、はたまた11世紀の新神学者シメオンの手になる真正の諸著作によっても、エヴェルゲティノス(慈善家)と銘打たれた、同じく11世紀に成った膨大な詞華集によっても、イエズスの祈りが言及されている個所はいささかも見当たらない。それは、14世紀になって初めて、ビザンチン・スラブ世界で頻繁に実践されるようになったのである。しかしそれでもそれは、修道的霊性の中核をなす特定の修道院に限られていた。イエズスの祈りが正教の一般信徒によって大々的に採用されるようになったのは、20世紀になってからのことである。今日の西方キリスト教と正教とに見られるイエズスの祈りの流行はよく酌量するとしても、たしかに次のことは、自信をもって主張することができる。イエズスの祈りが今日のようにひろく実践され、愛好されたことは、いまだかつて一度もなかった、と。

 

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