第一講話

 

 「神は、一切の名前を越える名前」を、私たちの救い主イエス・キリストなる救い主に「与えた[1]」とあります。「一切の名前を越える名前」とは、イエスです[2]

そして、その名前は一切の名前を越えていますから、「イエスの名前の内に、諸々の天的なものと諸々の地的なものと諸々の地下的なものの一切の膝が曲がります[3]」。そして、その名前は一切の名前を越えていますので、多くの世代にわたって誰によっても使われませんでした。モーセは『創世の書』を書きました。私たちはその中で、アブラハムと、彼から生まれた者たちとを読みます。彼らの中には、極めて多くの義人たちがいます。しかし、彼らの内の誰ひとりとしてイエスと名づけられるに値しませんでした。アベルもイエスと言われていません。「神なる主の名前を呼び始めた」あの人も[4]、「神に気に入られて連れて行かれ、その死が見出されなかった」あの人も[5]、「彼の世代においてただ一人、神の許で義人であることが見出されたあの人ノアも[6]、そればかりか、契約の諸々の約束を受け取ったアブラハムさえも[7]、彼か生まれたあの人イサクも、また、簒奪者ヤコブも[8]、彼の子どもたちのいずれも、イエスと言われていません。「モーセは、一切の家の中で忠実でした[9]」。しかし彼も、イエスと呼ばれませんでした。

しかし私は、『出エジプト記』の中に初めてイエスの名前を見出します[10]。そして私は、どのようなときにイエスの名前が初めて使われたのかを見きわめたいと思います。

「アマレクが来て、イスラエルと戦っていた。そして、モーセはレフィデュムの中でイエスに言った[11]」と(聖文書は)言っています。それらが、イエスの名前の最初の言及です。「あなたは、あなたのために有力な男たちをイスラエルのすべての子らから選び出し、進み出て、明日、アマレクと対戦しなさい[12]」と(聖文書は)言っています。モーセは、軍勢を導くことができないことを告白します。彼は、エジプトの地から軍勢を導き出したのに、掌握できないと告白します[13]。それゆえ彼は、イエスを呼んで、「あなたは、あなたのために男たちを選び出し、進み出なさい[14]」と言いました。あなたは、アマレクに対して戦争を行うことが誰に譲られたかを見るでしょう。

私たちはそのことの中に、イエスの名前を最初に学びます。私たちはそこにおいて、軍勢の指導者としての彼を見ます。ただし、モーセは彼に、(その)指揮を命じたのではなく、統帥権を譲りました[15]。モーセは、有力な男たちを選び出すことができません。「あなたが、あなたのために有力な男たちをイスラエルのすべての子らから選びなさい[16]」と(聖文書は)言っています。ですから、私がイエスの名前を最初に学ぶこの箇所で、私は直ちに神秘の秘蹟[17]も見ます:すなわち、イエスは軍勢を導きます。



[1] Cf.Ph.2,9.

[2] オリゲネスは、旧約の「ヨシュア」をイエスの予型と見ており、しかも、彼は、「イエス」も、「ヨシュア」も、ギリシア語でも、ヘブライ語でも同じ表記であることを知っている。それゆえ本訳では、「ヨシュア」も「イエス」と表記する。

[3] Cf.Ph.2,10.

[4] Cf.Gn.4,26:「エノシュ」をさす。

[5] Cf.Gn.4,24:「エノク」をさす。

[6] Cf.Gn.6,9.

[7] Cf.Gn.17,4s.

[8] Cf.Gn.27,36.

[9] Cf.Nb.12,7; He.3,2.

[10] 省略

[11] Ex.17,8.

[12] Ex.17,9.

[13] Cf.Ex.32,1.

[14] Ex.17,9.

[15] 指揮(principatum)、統帥権(primatum)

[16] Ex.17,9.

[17] mysterii sacramentumsacramentumは、「一時金の保管庫」という意味。それゆえ「秘蹟」は、当を得た和訳である。