しかし、探索者たちが身を隠した亜麻の束も[1]、私は、(神秘の)諸々の秘蹟[2]なしに受け取りません。実際、祭司的な衣服です[3]。その衣服は、招かれた者たちに授けられた祭司的な頂点を意味します――使徒ペトロが、「しかしあなた方は、聖なる国民、祭司的な王国です[4]」言っているように。あるいは少なくとも、祭司たちについて述べられている律法の秘蹟の中に、「異邦人たち[5]」から来た民の密かな召し出しが潜んでいたことが、その衣服によって意味されます。

ですから、遊女はたちどころに、エリコ人たちの王に敵対する諸々の敵意に苦しみます[6]。どうしてそれは、「肉は霊に敵対して欲求し、霊は肉に敵対して欲求する[7]」からではないのでしょうか。さらに(聖文書は)、「この世はあなた方を憎む。なぜなら(この世は)、あなた方よりも先に私を憎んだからである[8]」とも言っています。でうから、この遊女の敵となる或る王が存在します。彼は、「この世の支配者[9]」です。彼は、イエスの探索者たちを追跡し、捕まえることを欲しています。しかし、捕らえることができません。なぜなら(探索者たちは)、「諸々の山を通って[10]」旅をしているからです:彼らは、諸々の低いところを通って進みませんし、諸々の谷に喜びません。諸々の丘的な頂と諸々の山の諸々の崇高なところを捜索します;なぜなら、この私たちの遊女は次のように言っているからです:「私は、私の諸々の目を諸々の山の方に上げた。どこから私の助けは来るのだろうか[11]」と。「この世の支配者[12]」は、そこに昇ることができませんし、崇高な旅路を通してイエスの許に辿り着くことができません――もちろん、誘惑者が彼を諸々の高みの中に立たせて、「あなたを自分を下の方に置いてみよ[13]」と言うのでなければ――。なぜなら(この世の支配者は)常に、諸々の低く落ち込んだところを愛しているからです。それらの中で彼は君臨しています。それらの中に彼は自分の座を据えています。それらの中で、彼はさらに、黄泉にまで降りていきます。

モーセは、「太陽は留まれ[14]」とは言いませんでしたし、崇高な要素たち[15]に命令もしませんでした――イエスが行ったように。(聖文書は)言っています:「太陽は、ギブオンの上に留まれ。そして月は、アヤロンの谷の上に[16]」と。そして、それゆえに()文書は付け加えて、「そのように神は、人間に傾聴したことは一度もなかった[17]」と言っています。ですから、私のイエスは太陽を留まらせましたが、その時だけではありません。そればかりか、今でも、彼の来臨においてそうでした[18]。私たちが、私たちの敵たちに対して戦いを行う限り、そして、「諸々の支配と諸々の権能と、それらの闇の統治者たちに対して、諸々の天における不正の諸々の霊的なものに対して、私たちが格闘する[19]」限り、「義の太陽[20]」は絶えず私たちの傍にいてくださり、すぐには沈みません。なぜなら彼は次のように言っていたからです:「見よ。私は、すべての日々に、あなた方とともにいる[21]」と。主は、二倍化された日に[22]、私たちと共にいるだけではありません。彼は、「すべての日々に、そして、代の完成まで、私たちと共にいます[23]」――私たちも、私たちの敵たちに打ち勝つまで。



[1] Cf.Jos.2,6.

[2] sacramentumは、「一時金(今の場合は神秘)の保管庫」という意味(既出)

[3] Cf.Hom.Lv.VI,2-5.

[4] 1P.2,9.

[5] Cf.Rm.9,24.

[6] 訳者(朱門)の誤訳ではない。ラテン語原文がそうなっている。

[7] Ga.5,17.

[8] Jn.15,18.

[9] Jn.12,31.

[10] Cf.Jos.2,22.

[11] Cf.Ps.120,1.

[12] Jn.12,31.

[13] Mt.4,6:悪魔(誘惑者)がイエスを神殿の屋根の上に立たせて、「飛び降りてみよ」といったことをさる。

[14] Jos.10,12.

[15] 文脈上、太陽や月などの崇高な存在者(maxima elementa)をさす。

[16] Jos.10,12.

[17] Jos.10,14.

[18] Cf.Hom.11,3.

[19] Ep.6,12.

[20] Ml.3,20.

[21] Mt.28,20.

[22] 訳者(朱門)は直訳している。主は、「当時の日と今の日」という「二倍化された日」にばかりでなく、「代の完成までのすべての日々」に、我々と共にいる。

[23] Mt.28,20.