人間的な魂が神のみ言葉にむずからを結んだとき、(魂が)すぐに諸々の敵を持つだろうということ、そして、以前は友だちだと見なしていた者たちが諸々の敵たちに変わることを疑うべきではありません。(人間的な魂は)そのことを、人間たちから苦しむを期待すべきのみならず、諸々の敵対する力と諸々の霊的な邪悪からそのことが自分に差し迫ることを確実なこととして知るべきです。ですから、諸々の好意をイエスから期待する人たちは、多くの者たちに諸々の敵意を耐えねばならばならないことになります。使徒パウロがそれらの同じ事柄を確証していることを、あなたはお聞きください。彼は言います:「キリストの中で経験に生きることを望むすべての人たちは、迫害を苦しむでしょう[1]」と。そればかりかソロモンも、諸々の同じようなことを言っています:「子よ、主の奉仕に近づくとき、あなたは、あなたの魂を試練に備えさせなさい[2]」と。

ですから今でも、ギブオン人たちは、どのような状態にあろいうとも、攻撃されています――イエスの諸々の好意の故に;そして、彼らが「木の伐採者たちや水の運搬者たち[3]」であるにかかわらず:すなわち、あなたが教会の中で最後の者たちに値するとしても、あなたはイエスに属しているがゆえに、五人の王たちから攻撃されるでしょう。

しかしながら、ギブオン人たちは見捨てられたり、軽蔑されたりしません――イエスからも、イスラエル人たちの指導者たちや長老たちからも。むしろ彼らは、弱められた者たちとして、彼らの助けを担います。

それとも、そのことは私たちの中で起こっており、使徒の次の命令もそのことを定めていると、あなたには見えませんか。彼は言います:「あなた方は、小心者たちを慰めなさい。弱い者たちを支えなさい。すべての者たちに対して忍耐深くありなさい[4]」。そして再び:「しかし、より強力な者たちよ、あなた方は、弱い者たちの諸々の弱さを支えなさい[5]」と。ですから、そのような仕方でイエスは、ご自分の指導者たちと君主たちと一緒に、彼ら――ご自分の名前の故に敵対する諸々の力から攻撃される者たちに寄り添います。そして彼は、戦いの中で助けを提供するだけでなく、昼の時間を長くし、光の諸々の期間を引き延ばすことによって夜の到来を妨げます。



[1] 2Tm.3,12.

[2] Sir.2,1.

[3] Cf.Jos.9,27.

[4] 1Th.5,14.

[5] Rm.15,1.