しかし、「五人の王がいた」と(聖文書が)言っていることが何であるか、そして、「彼らが諸々の洞窟の中に逃げ込んだこと」が何であるかを[1]、私たちは見てみましょう。

しばしば私たちは、キリスト者たちの戦いが二重であると言いました。完全な人たちと、パウロやエフェソ人たちのような人たちとには、使徒自身が言っているように、「肉と血に対する戦い」ではなく、「君主たちと諸々の権能に対する、この世界の諸々の闇の指導者たちと、諸々の天の中にある不正の諸々の霊的なものに対する」戦いがありました[2]。他方、より劣っていて、まだ完全でない人たちには、依然として、肉と血に対する戦いが行われます。なぜなら彼らは、依然として肉的な諸々の悪徳と諸々の弱さによって攻撃されているからです。

そのことが、この箇所の中にも示されていると、私は思います。実際、ギブオン人たちに、五人の王たちによって戦いが布告されました。私は、彼ら(ギブオン人たち)の形象が不完全な(キリスト)者たちの中にあると言いました。ですから、彼らは五人の王たちによって攻撃されます。ところで、五人の王たちは実に、身体的な諸々の感覚、視覚、聴覚、味覚、触覚、臭覚を指しています[3]。実にそれらのいずれかを通して、各人は罪の中に落ち込むのが必然です。それら五つの感覚はそれら五人の王たちになぞらえられます。なぜなら彼らは、ギブオン人たち、すなわち、肉的な人間たちを攻撃するからです。

他方、彼らが諸々の洞窟の中に逃げたことについては、おそらく次のことが示されている可能性があります:すなわち、洞窟は、土地の深淵に掘られた場所です。したがって、私たちが上で語った諸々の感覚は、身体の中に置かれたものとして、みずからを諸々の地上的な行いに埋没させ、神の業には何も向けず、ひたすら身体の奉仕に向かっていましたから、諸々の洞窟の中に逃げたと言われます。



[1] Cf.Jos.10,16.

[2] Ep.6,12.

[3] Cf. Hom.Gn.16,6; Hom.Nb.5,2.