第十二講話

イエスが行った諸々の戦いは霊的に理解されねばならないこと、および、勝利の後に戻ってきた民はその下の中で呟かなかったことについて。

 幕屋や諸々の犠牲そしてあの一切の祭儀についてモーセを通して投影されていた諸々の事柄が、「諸々の天的な事柄の雛形と影[1]」であると言われるなら、疑いもなく、イエスを通して行われる諸々の戦いも、王たちと敵たちの諸々の虐殺も、「諸々の天的な事柄の影と雛形」であると言われるべきです。少なくともそれらは、私たちの主なるイエスが、ご自分の軍勢と司令官たちとともに、すなわち、信じる人たちの諸々の民と彼らの指導者たちとともに、悪魔と彼の諸々の使いたちに対して挑む諸々の戦いの(影と雛形であると言われるべきです。実際、彼は、パウロの中で、そして、エフェソの人たちの中で、「諸々の支配と諸々の権能と、諸々の闇の支配者たちに対して、諸々の天の中にいる邪悪の諸々の霊的なものに対して[2]」戦う方です。

そして、恩知らずの異端者よ、あなたはどのようにして諸々の古い事柄に諸々の新しい事柄が完全無欠に合致するかを見るべきです。古い人たちに、聖なる土地――「乳と蜜を流す土地[3]」――の国が約束されました。しかし、その土地は当時、罪人たち、最悪の住民たちと王たちによって保持されていました。その土地の中にイエスが、主の軍隊とイスラエル的指導者たちとともに来て、すべての者たちを攻撃し、殺害し、制圧し、そして、勝利の功績として、彼が打ち負かした彼らの諸々の国を受け取ります。

あなたに、諸々の福音を通して土地の諸々の国が約束されているのでなく、諸々の天の諸々の国が約束されています。しかし、これらの国は空虚で無人なのではなく、その住人たちとして、罪人たちと邪悪な霊たちと逃亡天使たちを持っています。そこには、パウロが使徒的な角笛を吹いてあなた方に戦いを勧めるところの敵たちが住んでいます。あちらでは、イエスが、アモリ人たちとペリジ人たちとヒビ人たちとエブス人たちに対する戦いが、あなたにあるだろうと言っていました[4]。同じようにこちらでに、パウロはあなたに告げて言っています:「肉と血に対する戦いは、あなた方にないでしょう」。すなわち、古い人たちが戦ったように、私たちは戦わないでしょう;諸々の土地の中で、人間たちに対する諸々の戦闘を私たちは行わねばならぬのではありません。むしろ、「諸々の主権に対する、諸々の権能に対する、この世界の諸々の闇の支配者たちに対する(諸々の戦闘を私たちは行わねばなりません[5]」。とにかく、もうあなたは、どのような諸々の場所の中でそのような諸々の戦闘があなたのために行われるべきか理解します。それとも、あなたに明示された(それらの)諸々の場所そのものが、言葉によって示されるのでなければ、理解はあなたにとって十分でないとすれば、あなたは、引き続く諸々の言葉の中で次のことをお聞きください:「諸々の天の中にいる不正の霊どもに対して[6]」と(パウロは)言っています。あなたが諸々の天の国の諸々の場所を嗣業地の割り当てとして受け取ることができるために、戦闘と武力によって諸々の天から追放されるべき者たちがどのようなものであるかを、あなたは聞きました。しかし主も、福音の中でそれらの事柄を明晰に示していませんか――次のように言うとき:「ヨハネの諸々の日から諸々の天の国は武力を被っている。そして、武力を行使する者たちがそれを略奪している[7]」と。



[1] He.8,5.

[2] Ep.6,12.

[3] Lv.20,24.

[4] Jos.9,1-2.

[5] Ep.6,12.

[6] Ep.6,12.

[7] Mt.11,12.