ですから、異端者よ、なぜあなたは、私たちの救い主なる主に中傷を行うことをしないのですか。彼は、ご自分を信じる者たちに約束していた「諸々の天の国」を武力によって強奪されることを命じています。とにかく、武力が適応されねばならないとすれば、(国を)所有する者たちに適応されねばならないのは確実です。実際、武力を行使すること、それは、所有者を放逐し、所有物を強奪することです。ですから(異端者たちよ)、あなた方は言ってください:モーセの後継者であるイエスが行ったとして、あなた方が非難することが他に何かありますか。

そしてともかく、主イエス・キリストがご自分の知恵の宮廷を私たちのために開いてくださり、私たちをご自分の知識の諸々の倉の中に案内してくださるほどに、私たちが相応しくなりますように;そして、私たちが今、手探りで、あたかも「鏡を通して、謎の中に、何らかの部分から[1]」その諸々の形象を見詰め眼差すことに努力しているところの諸々の事柄を、私たちのためにもっと充全に開錠し、もっと完全に開示してしてくださいますように。そうすればあなたは、次のことがどのようにして私たちに明らかになるか見るでしょう:すなわち、取り分け、霊的なイスラエルを攻撃する霊的な敵たちの中で、あのマケダの君主とラキシュの君主とリブナの君主がそれぞれ何の形象を保持していたか;あるいは、主の民が指導者イエスの下で殺害したものたちのそれぞれが、あなた自身の内部で、魂にまとわり付くどのような悪徳や誤謬のの形象を保持しているか。主の民はどういう民かというと、彼の諸々の命令を聞き、諸々の定めを守りなす;そして、()ご自身が彼らに、「蛇たちと蠍たちと、敵の一切の権能を踏みつける能力[2]」を分け与えます。ですから、私たちは祈りましょう:私たちの諸々の足も、敵たちの諸々の首を踏み付けることができるほど、蛇の頭を踏みつけて[3](蛇が)私たちの踵を噛みつくことができないようにするほど「見目麗しく[4]」、強力になりますように。

実際、指導者イエスの下で、敵対的な諸々の権能に対して戦いを挑む人たちは、以前の戦士たちについて書き記されている事柄にも値すべきです:「そして民全体は、無事にイエスの許に戻った。そして、イスラエルの子らについて、誰も自分の舌の中でぶつぶつ言わなかった[5]」と(聖文書は)言っています。ですからあなたは、次のことを見ます:イエスの許で軍役に就く人は、戦いから無事に戻らねばならりません;そして、「邪悪の諸々の火矢から[6]」傷を決して受けるべきではありませし、心の中で汚れるべきでなく、思考の中で不純になるべきでなく、怒りによっても、貪欲によっても、その他の如何なる機会によっても、悪霊的な諸々の傷に場所を与えるべきでありません。

また、(聖文書が)「誰も自分の舌の中でぶつぶつ言わなかった[7]」と付け加えていることについては、次のことが示されていると私には見えます:すなわち、勝利について誰も思い上がらなかった、(敵を)凌駕したことを誰も力に帰さなかった、と。むしろ彼らは、勝利をもたらしたのはイエスであることを知って、自分の舌の中でぶつぶつ言いません。そのことをよく理解する使徒は次のように言っていました:「(働いたのは)私ではなく、私の中にいる神の恵みです[8]」と。しかし、主の次の命令も、そのことに関係すると、私は考えます。その命令の中で彼は言います:「しかしあなた方は、それらすべてを行ったとき、『私たちは無益なしもべです、私たちは為すべきことをしただけです』と言いなさい[9]」と。そしてこの箇所の中でも、似たような仕方で、成功裏に行われた諸々の事柄について思い上がることを禁じているようように見えます。



[1] 1Co.13,12.

[2] Lc.10,19.

[3] Cf.Gn.3,15.

[4] Rm.10,15; Is.52,7.

[5] Jos.10,21.

[6] Ep.6,16.

[7] Jos.10,21.

[8] 1Co.15,10.

[9] Lc.17,10.