第十三講話

イスラエルの子らが受け取ったラキシュとリブナとヘブロンという諸々の町について。

 「形象的に彼らに起こったそれらすべての事柄は、諸々の世の諸々の終わりに臨んだ私たちのために書かれました[1]」。「外見の中でユダヤ人」である人、肉の中に外見的な割礼を持つ人は、「隠された事柄の中にいるユダヤ人[2]」が何であるかを知りませんから、その言葉を読むと、諸々の戦争と敵たちの諸々の殺害と、指導者イエスの下で勝利し、諸国民の諸々の王国を略奪するイスラエル人たちのこと以外には何も書き記されていないと考えます。それに対し、「隠された事柄の中でユダヤ人」である人、すなわち、キリスト者――彼は、ヌンの子としてのイエスに従うというよりも、神の子としてのイエスに従います――は、それらすべての事柄が諸々の天の国の諸々の神秘であることを理解します。そして、その人は次のように言います:すなわち、私のイエス・キリストなる主は、今でも、諸々の敵対的な力と対して戦い、それらが占領していた諸々の町、すなわち、私たちの諸々の魂からそれらを放り出し、私たちの諸々の魂の中に君臨していた王たちを殺害し、「もはや私たちの中で罪が君臨しない[3]」ようにし、私たちの魂の町から罪の王を殺した後は、私たちの魂が神の町となり、神がその中で君臨し、私たちに向かって次のことが言われるようにします:「見よ、神の国はあなた方の間にある[4]」と。

ですから、他ならぬ最高の憐みのこの業こそ、異端者たちが残酷であると非難しています。主イエスは、先ずヌンの子によって一つひとつの町を通して投影されたこの業を、いま、信じる人たちの一つひとつの魂を通して真理の中で成就します。それらの魂たちは、「この世界の中空の君主に即して、いま、不誠実の子らの中で邪悪で働いている霊たちに即して[5]」、最悪の王たちによって支配されていました。しかし(イエスは)、それらを追放し、滅ぼすことによって、それらの魂を「神の住まい[6]」と「聖霊の神殿[7]」にすることをよしとして下さいます――それは、不正の王の下に「不浄のために不正に」仕えていた諸々の肢体が、「いま、聖化のために義に仕える」ようになるためです[8]

ですからあなたは、そのように、次のことを理解してください:イエスは、エリコの王とガイの王とリブナの王とラキシュの王とヘブロンの王を滅ぼしました;それは、以前に最悪の王たちの下で罪の律法を守っていたすべての魂たちが、いまや神の律法の下で行動するようになるためです。



[1] 1Co.10,11.

[2] Rm.2,28.

[3] Cf.Rm.6,12.

[4] Lc.17,21.

[5] Ep.2,2.

[6] Ep.2,22.

[7] 1Co.6,19.

[8] Cf.Rm.6,19.