ですから神のみ言葉の業は、まず、罪の諸々の植物を引き抜き、「天の父[1]」が植えなかった一切の植物を引き抜き、火によって焼き尽くすことでなければなりません。植えることは第二の業に属しています。神が植えるのものは何でしょうか。モーセは、「神は楽園を植えた[2]」と言っています。しかし、今でも神は植えており、信じる人たちの諸々の魂の中に毎日、植えています。実際(神は)、怒りを切除した魂の中に温厚さを植え、高慢を切除した魂の中に謙遜を植えます。淫乱を根絶やした魂の中に純潔を植えます。無知を根絶した魂の中に知識を植え込みます。神が植える植え込みは、無感覚で地的な諸々の木の移植よりもむしろ、そのようなものであるべきだと、あなたに見えませんか。

同様に、神のみ言葉の業は、第一に、人間的な魂の中に(悪魔が)建設した諸々の悪魔的な建造物を破壊することです。なぜならば(悪魔は)私たちの一人ひとりの中に高慢の諸々の塔と自惚れの諸々の城壁を建てたからです。神のみ言葉は、それらを覆し、破壊します――私たちが相応しく、使徒の言葉に従って、「神の耕地と神の建物[3]」になるために。それらは、「キリスト・イエスという最高の隅石そのものによって、使徒たちと預言者たちの土台の上に置かれています。建造物の結合は、彼から成長し、霊の中で神の神殿へと成長します[4]」。そして、私たちのすべての敵が根絶され殺されることによって、私たちは最終的に、聖なる土地の嗣業地の中で、イスラエル的地所にいるに相応しくなるでしょう。こうして、「私たちの中で息をする者が彼らの中に残らなくなり[5]」、私たちの主なるキリスト・イエスの教えに従って諸々の業と諸々の言葉と霊的な理解を通して、キリストの霊だけが私たちの中で息をするでしょう。「彼に力と権能が代々にありますように。アーメン[6]」。



[1] Mt.15,13.

[2] Gn.2,8.

[3] 1Co.3,9.

[4] Ep.2,20.

[5] Jos.10,40.

[6] Cf.Ap.7,12.