(聖文書は言います):「イエスは、主が彼に命じていた通りに、彼らに対して行った。彼は、彼らの馬たちの脚筋を切った。そして彼は、彼らの諸々の戦車を火で焼いた。そしてイエスは、その時の中で向きを変え、ハツォルを占領し、その王を剣で殺し、その中で息をしていた一切の人を剣の死の中で殺害した。そしてすべての者たちが根絶された。こうして、呼吸する者はその中に残らなかった[1]」と。神によって命令がイエスに与えられたと言われています:すなわちそれは、上に言及された敵たちを攻撃した後、一人も容赦せず、彼らの馬たちの脚筋を切れ、という命令です。それゆえイエスは、主が彼に命じたとおりに、神の命令を遂行しました。

その中で何よりもまず私たちは、文字に即してのみそれらの事柄が理解されることを望むものたちに向かって次のことを言います:すなわち、敵たちの中の誰かが生き残っていたなら、人が逃走のために馬たちを利用できないようにするためにそれらの脚筋が切られるのは首尾一貫しているように見えた、と。しかし今、敵たちの中で息をする者は一人も残されなかったと言われているのですから、なぜ、馬たちの脚筋が切られることが命令されているのでしょうか。それらはとにかく、勝利者たちにとって使用と奉仕に役立つものになり得たからです。

しかしあなたは、次のことを知りたいですか:すなわち、イスラエル人たちが、この事柄と有用性を配慮しており、敵たちが打ち負かされると、彼らの諸々の家畜を保存することを常としていることを。『諸々の数』の中で私たちは、次のことが書かれいるのを読みます:すなわち、(イスラエル人たちは)神の命令によってミディアン人たちに対して戦いために前進したとき、敵たちが打ち負かされると、敵たちの略奪品から、自分たちに諸々の使用に役立つものとして、ロバたちの数千を保存したことを[2]。そこには、敵たちが圧倒されると、彼らはロバたちを殺害したとは、決して述べられていません。



[1] Jos.11,8-11.

[2] Cf.Nb.31,1-34.