「そして、イエスは戦いの中ですべての者たちを受け取った。なぜなら、彼らの心が強められ、彼らがイスラエルに対する戦闘に突進するするように、主によって仕向けられたからである[1]」と(聖文書は)言っています。(聖文書は)、イエスがある人たちを戦いの中で受け取り、ある人たちを受け取らなかった言わず、すべての人たちを受け取った、すなわち捉えた、そしてすべての人たちを殺したと言いました。実に主イエスは、罪のすべての諸々の種類を浄め、すべて(の諸々の種類)を破壊しました。実際、私たちは皆、「鈍感で、不信心で、迷い、多様な諸々の欲望に仕え、悪意と妬みの内に行動し、嫌われ、互いに嫌い[2]」、人間たちの中に――彼らが信じる前に――見いだされる罪の部類でした。ですから(聖文書は)、イエスは、戦いへと出立したすべての者たちを殺したと、上手く言っています。なぜなら、「神のみ言葉であり知恵である[3]」イエスが凌駕しないほど大きな如何なる罪の種類もないからです。実際、彼は一切の諸々の事柄を凌駕し、打ち勝ちます。それとも私たちは次のように信じないのでしょうか:すなわち私たちが、救をもたらす浴槽の許に来たとき、罪の一切の種類は取り除かれることを。実際、使徒パウロも、そのことを示しています。彼は、諸々の罪のありとあらゆる種類を数え上げたとき、すべての諸々の事柄の後で次のことを言っています:「そしてあなた方は、それらの事柄でした。しかしあなた方は洗い清められました。しかしあなた方は聖化されました。しかしあなた方は、私たちの主なるイエス・キリストの名前の中で義化されました[4]」と。ですから、そのような仕方で、一切の諸々(の罪の種類)は戦闘の中で受け取られ、一切の諸々(の罪の種類)は滅ぼされたと言われています。なぜなら主を通して、彼らの心が頑強にされ、彼らがイスラエルに対する戦いの中に駆け込み、根絶されるように仕向けられたからです。

実際、私たちの中で諸々の罪を働く諸々の敵対的な力が(私たちの許に)来ないかぎり、また、罪を犯すように私たちを促さないかぎり、また、戦うように消しかけないかぎり、それらは殺害され得ませんし、絶滅され得ません。ですから、神は、敵対的な諸々の力が戦闘のために私たちに対して出立することを許す、いやむしろ、実際的にそのように促すと言われています――私たちが勝利を獲得し、それらが滅びを得るために。

ですから、ほとんど一人ひとりの人間たちを通して、何らかの例たちが、人間たちの中で諸々の罪の様々な種類を行おうと努力しているが故に、反逆的な諸々の力の或る無限的な数が存在すると、私には思われます。たとえば、姦淫の霊のようなものが存在します。怒りの()も存在します。他の霊たちは貪欲の霊であり、他の霊たちは高慢の霊です。そしてもしも、それらすべての諸々の悪によって扇動されている人間、あるいは、もっと多くの諸々の悪によって扇動されている人間がいるとすれば、それらすべての敵対的な霊たち、あるいは、もっと多くの敵対的な霊たちを自分の中に持っていると考えられねばなりません。それゆえ、一人ひとり(の人たち)を通して、数多く(の霊たち)が存在すると信じられねばなりません。なぜなら、一つひとつの諸々の悪徳を人間たち持ったり、諸々の罪を犯したりするのでなく、むしろもっと数多くの諸々(の悪徳や罪)が一人ひとり(の人間)によって許容されているように見えるからです。そしてまた、姦淫の一つの霊が、たとえばブリタニアの諸地域の中で姦淫する人を惑わしたり、インドの中で、あるいは他の諸々の場所中で(姦淫する人を)惑わしたりしていると考えられるべきでありません。また、様々な諸々の場所の中で様々な人間たちを扇動する怒りの一つの霊が存在すると考えられるべきありません。むしろ私は次のことを考えます:姦淫の唯一の君主的な霊が存在するとともに、他方で無数(の霊たち)が存在し、彼らはこの職務の中で彼に従い、一人ひとりの人間たちを通して、様々な霊たちがその君主の許で軍務に就き、彼らをその種の諸々の罪へと誘っていると(私は考えます)。同様に私は次のことを考えます:怒りの唯一の君主的な霊が存在すととともに、他方で、彼の許で振る舞う無数(の霊たち)が存在し、彼らは、一人ひとりの人間たちを通して、この種の悪徳に属する諸々の罪を燃え立たせます。同様に貪欲の唯一の君主が存在するとともに、高慢や他の諸々の悪の(唯一の君主も存在すると、私は考えます)。ですから、使徒によって諸々の敵対的な力の中で唯一の主権が言われるのでなく、数多くの(主権)が言われています。そして彼は、それらに対する戦闘が彼自身と私たちすべてにあると書いています[5]。しかし、それらすべての者たちの君主――いわば、邪悪の中でより傑出した君主、犯罪の中でより卓越した君主――が存在すると、私は考えます。前者の(主権)者たちは個別に、諸々の罪の諸々の種類を通して(各自の)分に応じて諸々の罪へと世界を誘っているのに対し、彼だけは、すべての君主たちの指導者、そして徳悪な軍役の司令官として、世界を攻撃するでしょう。私たちは、ヤビンを論じたとき、彼の形象を、私たちの知性の貧弱な把握力に応じて、上述の諸々の箇所の中で明らかにしました。



[1] Cf.Jos.11,19-20.

[2] Tt.3,3.

[3] Cf.1Co.1,24.

[4] 1Co.6,11.

[5] Cf.Ep.6,12.