もちろん私は、次のことを考えます:聖なる人たちは一人ひとり、諸々の罪を燃え上がらせるそれらの霊たちに対して戦い、彼らを打ち負かし、彼らの一人ひとりを凌駕して、悪霊たちの軍隊を弱体化し、いわば彼らのできるだけ多くの者たちを滅ぼします。たとえば、もしも人が、慎ましく貞潔に生きることによって姦淫の霊を凌駕したならば、その聖人によって打ち負かされた霊は、もはや他の人間を攻撃することを許されません。むしろ「深淵の中に送られないようにイエスに懇願していた[1]」あの霊たちと同じように――当時に主は、一時的に、当面の経綸に応じてそのことを許しましたが――、次のことが論理的に必然であるように見えます:すなわち、一つひとつの無価値な霊たちは、聖なる人たちによって打ち負かされると、「深淵の中や外的な諸々の闇の中に[2]」あるいは、彼らに相応しい場所の中に、死すべき者たちのこの生活の戦いの審判者であり、正しい判事キリストによって引きずり出されます。またそのことから次のことが帰結する(ように見えます):すなわち、悪霊たちの非常に多くの数が打ち負かされると、諸国民たちは解放されて信仰に至ります。とにかく悪霊たちの軍団が、全のように完全無欠なまに存続していれば、彼らがそうなることは決して許されません。

しかし、私たちの言ったこと、すなわち、罪を犯す人たちの一人ひとりを通して多くの霊鬼たちが待機しているということが、ある人にとって難しく見えるなら、あるいは、それが作り話であると考えるなら、その人は、福音の権威に戻るべきである。そうすれば彼は、「悪霊に苦しみつつ、諸々の墓の中に住んでいた[3]」人を見出だすでしょう。彼は、救い主によって、「あなたの名前は何ですか」と質問されたとき、「軍団です。なぜなら私たちは、多くの霊鬼たちだからです」と答えた[4]」と、(聖文書は)言っています。ですから、諸々の罪の一つひとつの諸々の類を通して一人ひとりの悪霊たちが登記されるとしても、どうしてそれが驚くべきことに見えるのでしょうか。なぜなら、一人の人間の中に、悪霊たちの完全無欠な軍団が存在したと書かれているからです。ところで私たちは、詩編の句を解説していた諸々の箇所の中で、似たような諸々の事柄を言ったのを覚えています。その句の中に次のことが書かれています:「諸々の朝の中で、私は、土地のすべての罪人たちを殺害しいた――私が主の町から、不正を働くすべての人たちを滅ぼすために[5]」と。同様に、「義人たちの手の中に、両刃の諸々の剣[6]」があるとも(詩編の中で)言われています。それら(の剣)は、疑いもなく、敵対的な諸々の力を滅ぼすものです。しかし私は、次のことを考えます:私たちが言った諸々の事柄をより強力に立証するために、使徒パウロが次のように言うときの主張が提示され得ると:「しかし、平和の神は、速やかにあなた方の諸々の足の下でサタンを粉砕するはずです[7]」と。実際、もしもサタンが一人なら、どうして彼が、神の僕たちの諸々の足の下で粉砕されたことと、彼が再び働きことが可能なのでしょうか。なぜなら、もしも彼が粉砕され、しかも神によって粉砕されたなら、彼はもはや働くことはできないからです。ですからおそらく、サタンの諸々の働きを働く多いほど、多くのサタンたちがいると考えられねばなりません。実際そのことは、『(シラの)知恵』の中でも示されていると私には見えます。次のことが言われています:「サタンを呪う不敬虔者は、みずから自分の魂を呪っている[8]」と。しかし、『十二族長たちの遺言』と呼ばれる或る小著の中にも――それは正典の中にありませんが――そのような理解を私たちは見出します:すなわち、一人ひとりの罪人たちをとおして、一人ひとりのサタンたちが理解されるべきであると。しかしもっと明晰に、彼の名前の解釈それ自体がも――ヘブライ人たちの学識愛好家たちが伝えているように――その同じことを意味しているように見えます。すなわち、サタンは、敵対者と言われています。したがって、神の意思に敵対するすべての人たちは、サタンたちであると言われることができます。

それらのことを私たちが述べたのは、次のことが書かれているからです:「主は彼らの心を強めた。それは、彼らがイスラエルに対する戦いに進み出て、絶滅させられるためである[9]」と。ですから、霊的な刀を絶えず保持し、上で私たちが言及したところの敵たちの諸々の首から刀を取り去らない人は幸いです。それは、預言者エレミアも言っている通りです:「主の諸々の業を怠惰に行い、敵たちの血から自分の刀を取り去る人は、呪われよ[10]」とあります。もしも私たちが、それを文字に従って理解するなら、私たちは絶えず血を流す必要があるでしょう。全面的に「肉と血[11]」であるユダヤ人たちは、そのことを考えることによって残酷で冷酷になり、血を注ぎ出すことをやめた人たに呪いが置かれたと言います。したがって、「彼らの諸々の足は、血を注ぎ出すのに迅速です[12]」。「肉と血」である人たちには、そのような理解が考えられるでしょう。しかし私には、主は、主の諸々の業を決して疎かにしないこと、そして、「神のみ言葉の霊的な剣[13]」を敵対的な力たちの血から取り去らないこと、聞き手の人たちの一人ひとりの中で彼らを死なすことを与えてくださいますように。とにかく彼らは、あなた方の中でそのようにして殺害されれます――もしもあなた方が、それらの言葉を聞いて、彼らの諸々の業を行わなければ。



[1] Lc.8,31.

[2] Cf.Mt.8,12.

[3] Mc.5,2-3.

[4] Mc.5,9.

[5] Ps.100,8.

[6] Ps.149,6.

[7] Rm.16,20.

[8] Si.21,27.

[9] Jos.11,20.

[10] Jr.48,10.

[11] 1Co.15,50.

[12] Rm.3,15.

[13] Ep.6,17.