第十六講話

「そしてイエスは長老になった。なわち、年長者になった。そして彼は、諸々の日の中で進んだ[1]」と書かれていることについて。そして、どのようにして嗣業地は、モーセを通して「二部族と半部族[2] 」に与えられたか。

 私たちよりもかなり前に、ある人たちは、諸々の()文書について考察し、次のことを注釈しました:長老たちや年長者たちが呼ばれるのは、彼らが長寿を送ったからではありません。彼らは、判断の成熟と生活の尊ぶべき重みとの故に、その呼称で飾られます――特に、「長老」という言葉に、「諸々の日に満ちた方[3]」という言葉が付け加えられるとき。実際もしも、年齢の長さによってある人が長老や年少者と呼ばれるべきであると見られるなら、次の人たちを除いて、いったい他の誰がその名前によって考えられるべきだったでしょうか――第一にアダム、あるいは確かにマツサラムやノア。彼らはとにかく、他の人たちよりも長く多くの年月をこの世界の中で生きたと宣言されています[4]。しかし、いま私たちは次のことを見ます:彼らの内の誰一人として、()文書によって長老や年長者と呼ばれたと述べられていないのに、(彼らよりも)はるかに短い時間の人生を送った人、すなわち、諸々の聖なる文書の中で先ずアダムが長老や年長者と呼ばれていること[5]。さらにモーセに次のことが主によって言われています:「あなたはあなたのために、一切の民の中から、長老たちであるとあなたが自身が知っている長老たちとして選びなさい[6]」と。しかし、ああ、聞き手(のあなた)よ。あなたはさらに、一切の()文書の中で考察してください――いったいどこにあなたは、「年少者で、諸々の日に満ちた方[7]」というこの呼び名が、他の罪人の上に置かれているのを発見できるかを。

ですから今、イエスが長老――あるいは年長者――であり、「諸々の日の中で進んだ方[8]」と宣言する聖霊の声が存在します。実際、そのような意味で(聖文書は)言っています:「実際、イエスは長老――あるいは年長者――であって、諸々の日の中で進んだ方であった[9]」と。もちろんそのことは、罪人について言われることができませんでした。なぜなら罪人は、「諸々の日の中で進んだ者」ではないからです。実に彼は、「後にある諸々の事柄を忘れて、前にある諸々の事柄に身を伸ばす[10]」ことはせず、むしろいつも、「後方に振り返り[11]」、「自分の嘔吐に戻っています[12]」。ですから彼は、「諸々の天の国に相応しくありません[13]」。しかし、常に「いっそう前にある諸々の事柄に身を伸ばし」、完成へと向かう人は、「自分の諸々の日の中で進んだ方」です。ですから今、主はイエスに言います:「あなたは、あなたの諸々の日の中で進んだ方である[14]」と。

この箇所の中で次のことが見られるかどうか、私は知りません:主がイエスに、彼の老年についてすべての人たちが見ていたし、すべての人たちが知っていたことを言っていたかどうか。そして、人間たちに告げらるそれらの諸々の神的な応答は、「あなたは老人である。そのことはすべての人たちが見ていたし、すべての人たちが知っていた」と、彼らがが老いた人間に向かって言うほどの偉大(しかない)なのでしょうか。しかし、次の言葉を通して何かしら偉大な証言が主によってヌンの子に与えられていると私には見えます。実際、彼に次のことが言われています:「あなたは、諸々の日の進んだ者[15]」。そして、神的な諸々の神秘について公言し、あるいは開示することが私たちに許される限りで、私は次のことを考えます:すなわち、この太陽がこの世界のために諸々の日をつくるように、「義の太陽[16]」は、真理の輝きと知恵の燈明で照らされるある諸々の霊的な日をつくると。ですからもしも人が、神の諸々の掟の中で、この現在の生活――ヤコブが言っていたように「僅かな悪しき諸々の日[17]」に属するこの生活――を送り通し、この世界からみずからを汚れなく守り、自分のすべての霊的な敵対者たちと敵たちを屈服させたなら、その人は、それらの「僅かな悪しき諸々の日」から進出し、永遠の太陽によって印されたあの永遠で善き諸々の日に向かって前進すします[18]。ですから、そのような秩序によって、イエスも諸々の神的な応答から、「諸々の日の進んだ者[19]」と表明されると理解されねばなりません。



[1] Jos.13,1.

[2] Nb.32,33.

[3] Gn.35,29.

[4] Procope, PG.,87 (pars 1), 1024BC.

[5] Cf.Gn.18,11-12; et cf.Hom.Gn.3,3:「アブラハムの中でこの言葉は、身体の古さを示すのでなく、心の充実を示します。おそらくその考えは、フィロンから着想を得ている(Sobr.,16sv)

[6] Nb.11,16.

[7] Gn.35,29.

[8] Jos.13,1.

[9] Jos.13,1.

[10] Ph.3,13.

[11] Lc.9,62.

[12] Pr.26,11.

[13] Lc.9,62.

[14] Jos.13,1.

[15] Cf.Jos.13,1.

[16] Ml.3,20.

[17] Gn.47,9.

[18] Cf.Hom.Jug.,1,1.

[19] Cf.Jos.13,1.