しかしながら私たちは、影を通して何が記述されているかを見ましょう。なぜなら、律法の影の中に真理が素描されているからです。

さて、嗣業地の第一と第二の分割がなされたと述べられています。第一(の分割)はモーセによって、他方、第二(の分割)――それはもっと強力ですが――イエスによってなされたと記述されています。しかも、モーセは、ヨルダンの向こうで、部族ルベンと部族ガドと半部族マナセに地所を分けますが[1]、他の人たちは皆、イエスを通して嗣業地を受け取ります[2]。私たちはそれらの事柄に関して、律法を通して神を喜ばせていた人たち――イエスの信仰を通して約束された諸々の事柄に到達する人たちに時間において先立っていた人たち――が、諸々の完全な事柄をまだ獲得しないのは、どうしてなのかを既に述べました。彼らは、異なる時間において後の人たちが、唯一の信仰によって(神を)喜ばせるだろう人たちを待ち望んでいました。それはパウロが、「それは、私たちなしで彼らが完成を獲得しないようにするためです[3]」と述べている通りです。

他方でレビ族たちには、モーセもイエスも嗣業地を与えませんでした。なぜなら、「主なる神ご自身が彼らの嗣業地だ[4]」からです。次のことでなければ、どんな事柄の中で他の何事が理解されねばならないでしょうか:すなわち、魂の力と諸々の功績の恩恵とによって、他のすべての人たちに先行するある人たちが主の教会の中にいて、彼らにとって主ご自身が嗣業地だと言われていると。もしもそのような諸々の事柄の中で大胆になること、そして、隠された秘密の何某かを明らかにすることが許されるなら、私たちは、祭司たちやレビ人たちの形象が密かに次のことを明示しているのではないかを見ましょう:すなわち、一切の民――私は、救われる人たちの民のことを言っています――の中で、疑いもなくより多くの部分は、しかも、かなり多数を占める部分は、神の畏れの中で単純に信じる人たちから成り立っています。彼らは、諸々の善き業を通して、諸々の誠実な良風と諸々の賞賛すべき行いを通して神を喜ばせます。しかし、より僅かで、しかもかなり稀な人たちは、知恵と知識とに専念し、自分の精神を清く純粋に保ち、すべての輝かしい諸々の徳にによってみずからの諸々の魂を薫陶し、他のより単純な人たちが救いに向かって歩み至るための道を、教えの恵みを通して彼らのために照らします。おそらく彼らが、いま、レビ人たちと祭司たちの名前の下に示されています。彼らの嗣業地は、知恵――彼らは他の諸々の事柄にもまさって大事にしていた知恵――である神ご自身であることが提示されています。

しかしながら、モーセが分配した諸々の事柄の中と、イエスが(分配した)諸々の事柄の中に何らかの違いを、私は見出だします。すなわちモーセは、ヨルダン川の向こうで二部族と半部族に土地を分配したが[5]、レビ人たちには、彼らに届くべき居住地の取り分を与えませんでした。ところがイエスは、彼ご自身が配置した諸々の部族の中ばかりでなく、モーセによってヨルダン川の向こうに置かれた諸々の部族の中でも(居住地の取り分を)与えました[6]。実に、諸々の居住地は、レビ人たちのために、一つひとつの諸部族の中で識別されます。それは、私たちがそれによってより壮麗に神秘を知るようになるためです。実際、神の知恵と知識に努力を傾けるレビ的ないしは祭司的な階級は、モーセから居住地の籤を受け取ることはできませんでした。なぜならモーセは、真理の奉仕者でなく、「影と雛形」の奉仕者だったからです。ところが、「神の知恵[7]」であった私たちの主なるイエスはみずから、知恵者たちに居住地を提供します。確かにモーセは、次のことを言うことができませんでした:「あなたは言って、あなたが持っているすべてのあなたの諸々の物を売り、貧しい人たちに与えなさい。そうすればあなたは、天の中に宝を持つだろう。そして、あなたは来て、私に従いなさい[8]」――これはすなわち、レビ人たちに取り分を与えることです――。またモーセは、「自分が所有するすべてのものを放棄しなかった人は、私の弟子になることはできない[9]」と言うこともできませんでした。またモーセは、次のことも言えませんでした:「父や母、そして兄弟たちと姉妹たちと子たち、さらには自分の魂も憎まなかった人は、私の弟子になることはできない[10]」と。モーセはそのことを言えませんでした。それゆえ彼は、みずから祭司たちとレビ人たちの諸々の居住地を分配することはできませんでした。

ですから、自分がイエスから天的な住居の籤を将来の中で受け取るほどになったことを呈示し、イエスが命じたすべての諸々の事柄の中で完全であることが見出だされた人は幸いです。その人について主イエスご自身が言っています;「父よ、私がいるところに、彼らも私と一緒にいることを私は望みます[11]」。そして、「私があなたの中にいて、あなたが私の中にいて、私たちが一つであるように、彼らも私たちの中で一つでありますように[12]」と。



[1] Cf.Jos.13,8s.

[2] Cf.Jos.14,1s.

[3] He.11,40.

[4] He.13,14.

[5] Cf.Jos.13,8.

[6] Cf.Jos.21,1-40.

[7] 1Co.1,24.

[8] Mt.19,21.

[9] Lc.14,33.

[10] Lc.14,26.

[11] Jn.17,24.

[12] Jn.17,21-22.