しかし、もしもあなたが、完成者たちとより傑出した者たちの嗣業地が主であると言われていることを聞いても、その名前の下で示されていることが何であるかを知らず思案するのであれば、あなたは、主が知恵であることをお聞きください[1]。ですから、嗣業地は主であると言われる人は、知恵の嗣業地を獲得するでしょう。主は、正義であると言われます[2]。ですから、嗣業地が主である人は、正義の嗣業地を得るでしょう。主は平和です[3]。主は贖いです[4]。主は救いです。主の中に、「知恵と知識との諸々の宝[5]」が隠されています。それらすべてを修行地の中で受け取るでしょう――嗣業地が主になる人には。

しかしながら、神の知恵と神のみ言葉と真理と正義が嗣業地であると言われる人たちも、暫くの間は、嗣業地が諸々の地の中にある人たちと一緒に居住地を持ちます:それは、彼らとの交流を通して、自分たち自身ではまだ力のない人たちが、彼らを通して、神の知恵と知識と彼の真理とみ言葉の参与者になるためです。そして、こうして神的な経綸はもっとも小さい人たちにまで及びます:それは、元から神的な恵みの受容者たちとして存在することのできない者たちが、そうした者たちとの交流から照明されるに相応しい者となり、次のように書かれていることが成就するためです。:すなわち、「多く(集めた)人はあり余らなかった。そして、もっとも少なく(集めた)人は劣らなかった[6]」とあります。そして、使徒がコリントの人たちに宛てて、聖なるエルサレム人たちについて次のように言っていることが(成就するためです)。すなわち、彼は言っています:「あなた方のあり余りが彼らの欠乏のためになり、そして、彼らのあり余りがあなた方の欠乏のためになるためです[7]」と。

ですから、今でも、土地を持たないレビ人と司祭はそのように、土地を持つイスラエル人と一緒に住みます。それは、祭司とレビ人が、自分たちの持たない諸々の地上的なものをイスラエル人から受け取るようになるためであり、逆にイスラエル人が、自分たちの持たない諸々の天的で神的なものを祭司とレビ人から受け取るようになるためです。実際、神の律法は、祭司たちとレビ人たちに託されました。それは、彼らが、如何なる心配もなしに、それのみに、そして神のみ言葉に努力を払い、時間を費やすようになるためです。しかしまた、(それに)時間を費やすようになるためには、平信徒たちの諸々の奉仕を利用しなければなりません。実際もしも平信徒が、必要な諸々のものを祭司たちとレビ人たちに提供しなかったら、彼らはそのような諸々のものの中に、すなわち諸々の身体的な配慮の中に捕らわれて、神の律法に割く時間が少なくなるでしょう。他方で、替えらが神の時間に時間を費やさず努力を払わないなら、あなたは危険にさらされます。実際、彼らの中にある知恵の光は暗くなるでしょう――あなたが灯明に油を注がなければ。そして、あなたの過失によって、神が言ったことが起こるでしょう:すなわち、「盲人が盲人に導きを提供するなら、両人とも穴の中に落ちるだろう[8]」とあります。そして、あなたの中で次のことも成就さえるでしょう:「実際、もしもあなたの中にある光が諸々の闇であれば、それらの闇そのものはどれほど多いことか[9]」と。

ですから、知識の光が祭司たちの中で輝くために、そして、彼らの燈明が常に着火されるようになるために、あなたは、あなたの務めを成し遂げ、祭司たちの諸々の奉仕のための神の命令を成就してください。しかしもしも、あなたから諸々の必要なものが受け取られたのに、しかも、「貪欲によってでなく、祝福として[10]」そうされたのに、彼らが怠って、勉学に努力を与えず、神の言葉に時間を割かず、神の律法の中で昼も夜も省察しなかったらな、彼らは、あなた方の諸々の魂のためにどのように神に釈明しなければならないか見るでしょう。

むしろ私たちは、全能の神の憐れみを祈りましょう:彼の光によって、彼の真理によって、彼の輝きによって、私たちを照らして下さり、「私たちの諸々の足のための燈明、私たちの諸々の道に光としてのご自分のみ言葉[11]」を与えてくださるために――真の「世の光[12]」であるイエス・キリストなる私たちの主ご自身が。彼に「栄光と力が代々にありますように。アーメン[13]」。



[1] 1Co.1,30.

[2] .Ep.2,14.

[3] 1Co.1,30.

[4] 1Co.1,30.

[5] Col.2,3.

[6] 2Co.8,15; Ex.16,18.

[7] 2Co.8,14.

[8] Mt.15,14.

[9] Cf.Mt.6,23.

[10] 2Co.9,5.

[11] Ps.118,105.

[12] Jn.1,9; 8,12.

[13] 1P.4,11.