しかし私たちはさらに、東の諸々の部分からの諸々の境界が何であるかを見ましょう。それは、私たちが諸々の場所の目録を作ることを望むためではありません。むしろ、それらの事柄によって意味される諸々の神秘の諸々の像を、私たちが凝視するためです。さて、ユダの部族の東の諸々の部分から塩の海があると言われています[1]。そしてその後、その部分の中に太陽の泉[2]と太陽の町[3]が名指されています。そして同じ部族の中に、諸々の文字の町[4]もあること(が言われています)

ですから、ユダの子らの部分の中に入ることを望むすべての人は、先ず塩の海を過ぎ越す、すなわち、この生活の諸々の激流と諸々の渦潮を乗り越えね、この世界の中でその不確実さと不安定の故に海の諸々の波になぞらえられる一切のものを避けねばなりません――その人が、ユダの土地の許に到達すること、太陽の泉に近づくことができるようになるためです。しかし、太陽の泉は誰なのでしょうか、あるいは、どんな太陽の泉なのでしょうか。それについては疑いもなく、次のことが書かれています:「しかし、私の名前を畏れる者たちに、義の太陽が昇るだろう[5]」。もしもあなたがまず塩の海を通過したなら、あなたはユダの土地の中にその太陽の泉を見出すでしょう。どのような泉をでしょうか。その泉についても、確かにイエスは次のことを言っていました:「私が与える水から飲んだ人の中に、永遠の命へと飛び跳ねる水の泉が生じるだろう[6]」と。ですから、その太陽の、私たちが述べたような泉をあなたが見出したなら、あなたはさらにその町も見出すでしょう。なぜなら、そこには太陽の町もあると(聖文書は)言っているからです[7]。エジプトの中にも、太陽の町が(あると)言われています[8]。しかし、エジプトの中にあるその町は、「天的な父が、善き人たちと悪しき人たちとの上に昇ることを命じる[9]」太陽の名前を得ました。しかし、ユダヤの中にある町は、聖なる人たちにだけ属するものになります。なぜなら、それは神の町であり、そして、私たちが上に述べた泉は「川となって、神の町を喜ばす[10]」からです。

しかしあなたも、もしも一切の方面から守られ、節制の壁によって囲まれていたなら、もしもああなたが知恵と寛容との諸々の塔によって強化されていたなら、あなたも「神の町」になるでしょう。しかし、もしもあなたがそれらすべてに――イザヤが「あなた方はあなた方自身のために知識の光を灯しなさい[11]」と言ったように――、あなた自身のために知恵の光を加えたなら、そして、「義の太陽[12]」があなたを照らしたなら、あなたも「太陽の町」になるでしょう、あるいは、「太陽の町」を嗣業地の分け前として受け取るでしょう。

そればかりか、あなたがなた自信を神の律法に託して、その(律法の)中で「昼も夜も省察し[13]」――イエスに言われたように[14]――「律法の書」があなたの手から離れないなら、そして、もしもあなたが、「あなた方は諸々の()文書を精査しなさい[15]」と言っている救い主の命令を覚えているなら、したがってもしもあなたが、そのような諸々の研究にあなた自身を委ね、読んだり聞いたりすることによって神的な律法の指導の学識を獲得したなら、「諸々の文字の町[16]」があなたの取り分になります。

そしてそれらの事柄を、私たちの理解の可能性に応じて、あるいは、あなた方の聴覚の能力に応じて、私たちは吟味しました。しかし、知識の総体と、それらの事柄のより深くより明快な理解は、次の人たちの許にあるでしょう:すなわち、彼らは、神の唯一の真の子の真の嗣業地――「彼を完全に愛した人たちに約束された[17]」嗣業地――を私たちの主なるキリスト・イエスの中で獲得するのに相応しい者とされる人たちです。彼に「栄光と力が代々にありますように。アーメン[18]」。



[1] Cf.Joc.15,5.

[2] Cf.Joc.15,7.

[3] Cf.Joc.15,10.

[4] Cf.Joc.15,15.

[5] Ml.3,20.

[6] Jn.4,14.

[7] Cf.Joc.15,10.

[8] Cf.Gn.41,45.

[9] Mt.5,45.

[10] Ps.45,5.

[11] Os.10,12 LXX !

[12] Ml.3,20.

[13] Ps.1,2.

[14] Jos.1,8.

[15] Jn.5,39.

[16] Cf.Joc.15,15.

[17] Jc.2,5.

[18] Cf.1P.4,11.