それらの後にエフライムの子らは、更に次のことを付け加えて言っています:「山は、私たちにとって十分ではありません。しかも、選り抜きの馬と鉄が、私たちの中に居住するカナン人にあります[1]」と。あなたは決して、馬を持っているイスラエル人を見出さないでしょう。むしろカナン人が、救いにとって偽りの馬を持っています[2]。カナン人は、戦闘的な鉄も持っています。しかしイエスは、彼らに何と答えたでしょうか:「もしもあなたが多勢の民であり、そして、力を持っているなら、あなたにとって取り分は一つではないだろう。なぜなら、森はあなたのためにあるからである。そしてあなたは、それを切り開くだろう[3]」とあります。

あなたは、私たちに対して霊的理解を通して何が言われているかをご覧ください。それは、私たちの中にある森を切り開き、無益で実りのない諸々の木を私たち自身から切断することによって諸々の新しい耕地を作り、それらを私たちが常に更新し、それらから「三十倍と六十倍と百倍[4]」の実りを私たちが獲るためです。あるいは、福音の言葉は、次のことを言うことによって諸々の同じ事柄を告知していないでしょうか:「見よ、おのが諸々の木の根元に置かれている。だから、実を結ばない一切の木は切断され、火の中に置かれるだろう[5]」と。それらの諸々の事柄を私たちの先行者たちにヌンの子イエスは、実りのない諸々の木について教えました。それらの諸々の戒めを私たちに主イエスは諸々の福音の中で述べました。影が先行し、真理が続いたことは、どうして真実でないでしょうか。



[1] Jos.17,16.

[2] Cf.Ps.32,17.

[3] Jos.17,17-18.

[4] Mt.13,8,23.

[5] Mt.3,10.