しかし、イエスが付け加えたことは何でしょうか:「もしもあなたが森を切り開いたなら、あなた方がカナン人を追い出したとき、それもあなたのものになるだろう[1]」と、(聖文書は)言っています。

私たちは既に上で、私たちと共に置かれたカナン人が、第一に諸々の貢物だけを払うと言われ、第二に隷属して服従者になると言われ、他方で第三に私たちの諸々の肢体の死化の中で滅ぼされると言われるのは、どうしてかを述べました。もしもそれらの事柄を私たちが正しく理解し、そして神がご自分の恵みを通して、それらの事柄をそのように理解することを許して下さるなら、労苦の何らかの報いとして、諸々の秘密の隠された事柄に関してそれらの事柄を白日の下にさらし、そして、隠匿物として保持されていたそれらの事柄が私たちの認識の許に至りますように。そして私たちは、すでに述べた諸々の事柄に従って、私たちと一緒にいるカナン人をより速く私たちに従わせ、服従させることに努め、それらの後でさらに滅ぼすことに努めましょう。なぜならもしも私たちが彼を放免し、見過ごすなら、「ファラオがエジプトから来て」、私たちの場所を「贈り物として自分の娘に与え[2]」、「捕らわれた私たちを罪の法律に渡す[3]」ことを始めるでしょう。

しかし、次のことがイスラエル的な高貴さからなくなりますように:すなわち、神が既にエジプトの土地から導き出したイスラエルがファラオの娘に仕えて、紅海の中で沈められたあのファラオに仕えること。ですから私たちは、ここでもイエスが言っているように、カナン人たちに対して私たちが優勢になるように心がけましょう――もしも彼らが万が一、私たちに対して強大になり、私たちを獲得したなら、イスラエル人たちである私たちをカナン人たちにしないようにするためです。それは、肉の魅力が凌駕する人にも起こったように。その人は預言者によって次のことが言われています:「ユダの種でなく、カナンの種、美しさが、あなたを誘惑した[4]」と。ですから、「カナンの種」(という言葉)を聞くことが私たちに起きないようにしましょう。なぜなら、「少年カナンは呪われよ。彼は、彼の兄弟たちの奴隷になるだろう[5]」とあるからです。

それよりも主は私たちに次のことを提供してくださいますように:私たちが、アブラハムとイサクとヤコブの子、「約束による相続人[6]」になること、そしてそれに加えて、「アブラハムの子らになるために」、私たちの主なるキリスト・イエスによって「諸々の石から起き上がらせ」られた者たちになることを[7]。私たちの主に、「栄光と力が代々にありますように。アーメン[8]」。



[1] Jos.17,18.

[2] Rm.7,22.

[3] Jos.17,18.

[4] Dn.13,56.

[5] Gn.9,25.

[6] Ga.3,29.

[7] Cf.Mt.3,9.

[8] 1P.4,11.