第二十三講話

七つの諸部族が嗣業地を受け取ったときの諸々の籤の理拠について。

 

 人間たちの習慣の中では、何らかのものが籤によって分割されるとき、あれこれの籤はあれこれの人に偶然に起こるように見えます。しかし、聖文書の中ではそのようではありません。そして私は、何度も、私自身の許で次のことを探求しました――それほど重大な事柄の中で聖なる父祖たちは諸々の籤に決断を委ねたのかどうか;そして、もしもそのことが聖なる人たちの許でそのように為されたとしても、聖なる人たちによって籤で分割されたと言われる諸々の事柄の中に特別(に例外的)なものが見出されないなら、他の人たちや諸国民たちからは驚くべきことだとはまったく見られないということを(私は探求しました)。しかし私たちは、諸々の籤の中にどのような(神秘の)力が含まれているかを私たちに明らかにしてくれるものが諸々の()文書の中に置かれているかどうかを見てみましょう。

では私たちは、『レビ記』から始めましょう。そこには次のことが書かれています:「彼らは、二つの籤を受け取るだろう。一つの籤は主のため、そして、一つの籤はアザゼルのため」すなわち贖罪牡山羊のため[1]。「そして、贖罪牡山羊の籤を当てたものは誰でも、その山羊を受け取り、そしてそれを生きたまま荒れ野の中に導き、そしてそれをそこでその放免の中で放免するだろう」と(聖文書は)言っています。他方で彼らは、他の山羊を主のために屠殺するだろう云々と[2]、そこに(書いて)ある通りです。(それらの箇所を)読む人たちは、それらが何であるか(よく)知っています。

またモーセは、籤によって、ルベンの部族とガドの部族とマナセの半部族のために(土地を)分割しました[3]。彼らは、イスラエルの子らが受け取ったヨルダン川のあちらの土地を受け取ることを要求していました[4]

さらにイエスも、主の定めに従ってエフネの子カレブとユダ族に取り分を与えました[5]。さまた、エフライムの部族と[6]、残っていたマナセの半部族にも(取り分)を与えました[7]。そして彼は、「イスラエルの子らの教会を集め[8]」、そして、次のことを言いました:「私は籤を置き、主のみ前に提出しよう――もしもあなた方が前もって土地を記述し、その記述を私に持ってきたなら」と(聖文書は)言っています[9]。そして、その後そのように諸々の籤が置かれ、嗣業地が主の民に分配されます。そしてその籤は、偶然によってでなく、主によって予め運命づけられたことに従って為されます。最後に、ベニヤミンの部族が最初に、エルサレムがあった場所に取り分を受け取りました[10]。その部族の後でシメオンの部族が第二に、その部族の後にイサカル(の部族)が、その次にゼブルン(の部族)が、その次にアシェル(の部族)が、後にナフタリ(の部族)が、次にダン(の部族)(取り分を受け取りました)[11]。それらの(部族の)の中に三つの部族が最後に来ていますが、それらはヤコブの妾に由来していました。



[1] Lv.16,8.

[2] Lv.16,10-15.

[3] Cf.Jos.13,15-31.

[4] Cf.Nb.32,1-5.

[5] Cf.Jos.14,13.

[6] Cf.Jos.16,1.

[7] Cf.Jos.17,1.

[8] Cf.Jos.18,1.

[9] Cf.Jos.18,4-6.

[10] Cf.Jos.18,11-28.

[11] Cf.Jos.19,1-40.