「そして、エフライムの子らは去って、自分たちの諸々の境界に沿って土地を踏破した[1]」とあります。

そして、(聖文書は)その物語を物語ると、続く諸々の箇所の中で、幸いなイエス――彼は、私たちの主にして救い主なるイエスの名を担うのに本当に相応しいでした――の温厚さと謙遜さが何と大きいかを宣言しています。実際、(聖文書は)次のことを言っています:「そしてイスラエルの子らは、(籤による)分け前をヌンの子イエスに、彼ら自身の中で主の定めに従って与えた。そして彼らは彼に、彼が要求した町ティムナト・セラ――それはエフライムの山の中にある――を与えた。そして彼は、そこに町を建て、そしてその中に居住した[2]」と言っています。

彼こそが、嗣業地をユダのすべての子らに与えた方であり、エフライムとマナセの半部族とに(嗣業地を)与えた方です。彼こそが、エフネの息子であるあの壮麗なカレブ[3]にも嗣業地を与えました。彼こそが一つひとつの部族ごとにそれぞれ三人を派遣しました。そして彼らは、全地を踏破して書物の中に記述し、戻って、自分たち(の部族)に示しました[4]。彼こそが、すべての人たちに諸々の籤を置き、諸々の最後の中に自分自身を保持しました。なぜ彼は、「すべての者の中で最後」であることを望んだと、あなたは考えますか。疑いもなく、彼が「すべての者の中で最初[5]」になるためです。

そして彼は、嗣業地の分け前を自分自身で先取りしたのではありません。彼は民から(それを)受け取りました。しかも民は、民自身に嗣業地を与えて下さった当のその方に嗣業地を与えました。実際、次のように書かれています:「そしてイスラエルの子らは、ヌンの子イエスに分け前を与えた[6]」と。しかし「それらのことは、形象的に彼らに起きました[7]」。そしてそれらの事柄は、私たちに形姿として提示されています。それは、私たちも、次の掟を守るためです。その掟はその方が業によって成就したもので、その方はその掟によって次のことが言われています:「あなたが偉大になればなるほど、それだけ一層あなたはあなた自身を低めなさい。そうすればあなたは、主のみ前で恵みを見出すでしょう[8]」。そしてまた、次のように書かれています:「もしも彼らがあなたを指導者に任命したら、あなたは高ぶってはならない。むしろあなたは、彼らの一人として彼らの中にいなさい[9]」と。

ですからあなたは、どのようにして彼が民の指導者であったのか見てください:彼らは、彼らを聖なる土地の中に、約束の土地の中に案内しました;彼はモーセの後継者でした;そして彼は、土地の割り当てを取ることを自分自身に許さず、民から一筆地を受け取ることを期待します、民の指導者は;そして、自分の一筆地を受け取るとイエスは、その名前に相応しい方として、自分が受け取った場所を整地し、(建物を)建てて、真実にその場所を神の賜物と神的な嗣業地に相応しいものにします。



[1] Cf.Jos.19,49.

[2] Jos.19,49-50.

[3] Cf.Jos.14,6.

[4] Cf.Jos.19,49.

[5] Cf.Mt.19,30.

[6] Jos.19,49.

[7] 1Co.10,11.

[8] Si.3,18.

[9] Si.32,1.