しかし私たちは、イエスについて書かれている諸々の事柄を私たちの救い主なる主に帰すことを習慣にしてきましたから、おそらくこの私たちの一切の民も、何らかの分け前を私の主イエスに与え、ある場所を彼の住居に提供するでしょう。しかし、言われていることが侮辱的なことに見えないようにするために、どのようにして、彼の僕である私たちが居住の場所を与えるかを、私たちは探求しましょう。もしも私が善人になることができるなら、私は場所を神の御子に私の中で与えていたのです。そして、私から私の魂の中で受け取られた場所を、主イエスは整地し装飾し、その中に難攻不落の諸々の壁と諸々の至高な塔を作っていたのです:それは彼が、もしも私が相応しいなら、ご自分と御父とに相応しい住居を私の中に建てるためです。そして私の魂を、ご自分の知恵と知識と一切の聖性を全面的に受容することができるように装飾して、ご自分と共に父なる神をも中に入らせ、その(魂の)中に「住居を作ら[1]」せ、そのような魂の許でご自身が授ける諸々の食物を「摂ら[2]」せるようにしていました。

私たちがそのことを獲得するに相応しくなるように、私たちは私たちの中で清い心を備えましょう:それによって主イエスが喜び進んで私たちの心の清い御持て成しの中に入って下さるように。彼に「栄光と力が代々にありますように。アーメン[3]」。



[1] Jn.14,23.

[2] Ap.3,20.

[3] 1P.4,11.