しかし、誰がそれらすべてのもろもろの事柄を追求し、理解することができるでしょうか。誰が、諸々の神秘の順序そのものを少なくとも覚え、保持する力があるでしょうか。しかしもしも、文字に従ってだけで物語の本文そのものが説明され得ないとすれば、そして(もしも)、歴史の中に含まれる諸々の場所や諸々の人物の錯綜が解きほぐされ得ないとすれば、私たちは、この箇所によって記述されている諸々の神秘について何を言いましょうか。それらの諸々の神秘の中には、将来の嗣業地の諸々の配分が投影されています。そしてそれらの神秘を通して、「柔和な人たちが嗣業地として受け取るだろう[1]」聖なる土地の分割が挙行されるでしょう。

誰が、諸々の宿営地の様々な場所を説明するでしょうか;どのようにしてその分配が、復活の中で、聖なる人たちの一人ひとりを通して、祭司的なあるいはレビ的な順序によって持たれるべきでしょうか。それは、使徒が言っているように、復活の中で、諸々すべての事柄が混乱して行われためでなく、一人ひとりが、「各自の順序の中で」来るために:「始めにキリストが、次にキリストに属する人たち、彼の到来を信じてきた人たちが来るために――彼が御国を父なる神に渡したとき一切の主権と権能を彼に服従させたとき[2]」。

そのときには疑いもなく、諸々の宿営地のそのような諸々の規制と祭司的な諸々の分配と諸々の順序と諸々の喇叭の諸々の合図があるでしょう。実際、神が天の諸々の星を秩序づけ、曰く言い難き驚異的な諸々の理拠によってそれらを配置し、それらの(星の)内の他の諸々(の星)を北の極地に立て、他の諸々(の星)を東方の諸々の部分の中に、他方、他の諸々(の星)を南の穹窿の部分の中に、そして他の諸々(の星)を日没の中に立てたように、私は次のことを信じています:死者たちからの復活から、数の多さと明るさとの中で「天の諸々の星のように[3]」なるだろう人たち、すなわちアブラハムの種から来る人たちを[4]、おそらく神は、諸々の天の国の中で、諸々の星と天の諸々の部分との順序に従って秩序づけるでしょう;そして(神はおそらく)、他の者たちに東方の籤を、他の者たちに西方の()を、他の者たちに南方の()を与えるでしょう;そして()ご自身がご存知の人々を北方に立てるでしょう;なぜなら、「多くの人たちが東と西から、大地の四つの部分から来て、諸々の天の国の中でアブラハムとイサクとヤコブと共に食事(の床)に就くでしょう[5]」――私たちの主イエス・キリストを通して。彼に「栄光と力が代々にありますように。アーメン[6]」。

 



[1] Mt.5,5; Ps.36,11.

[2] 1Co.15,23-24.

[3] Cf.1Co.15,41, Dn.12,3.

[4] Cf.Gn.15,5; Ex.32,13.

[5] Mt.8,11.

[6] 1P.4,11.