それらの後で、次のことが私たちに朗読されました:ルベンの子らとガドの子らとマナセの半部族――彼らは、ヨルダンのあちら側にいた――は、「巨大な祭壇」を建設した;しかし、イスラエルの残りの子らは、何故にその祭壇が建てられたを知らず、アロンの子であるエルアザルの子ピネハスを、それぞれの部族から選ばれた十名の男たちと共に遣わす――もしも彼らが神から離反する者たちとしてそれを為したなら、彼らは、彼らは背信者となって、神の掟に反して振る舞う者としてイスラエルの残りの子らから攻撃されるために;もしもそうでないなら、彼らがその理由を知るために。ところが彼らは、祭壇について釈明し、そして次のことを言います:「我々は、次のことを知っている。真の祭壇は、イエスが居住するあなた方の許にある。しかし我々は、あなた方の許で建設されたその祭壇の似姿に従ってこの祭壇を作った――我々の許でも、真の祭壇の形象と似像が持たれるために;あなた方が明日、次のことを進んで言うことのないように:「ヨルダンの境界が、我々とあなた方の間にある;そしてそれが(その境界を)定めている。そしてそれ故、あなた方は私たちの祭壇の中で分け前を持たない」と。彼らはそれらの回答を送りました。

しかし私たちは、この事実の神秘が何を含んでいるか見てみましょう。割礼の以前の民は、初子であったルベンの中に示されています[1]。また、彼自身がジルパからの初子であるところのガドと[2]、やはり初子のマナセとの中に示されています[3]。ところで私は、初子と言ってものを時間に即して語っています。ですから、それらの諸々の事柄が言われるのは、私たちと、キリストの到来の前に義人であった者たちとの間に何らかの分割や分離が見られないようにするためであり、たとえ彼らがキリストの到来の以前にいたとしても、彼らが私たちの兄弟たちであることを(それらが)示すためです。実際、救い主の到来前の当時、彼らが祭壇を持っていたとしても、彼らは、その祭壇が真のものでなく、この真の将来の祭壇の形象と形姿であることを知っており、理解していました。彼らは、諸々の罪を取り除くことのできる真の諸々のいけにえが、初子的民が持っていた祭壇の中で捧げられないこと、むしろ、イエスがいた(祭壇の)中、そこで諸々の天的ないけにえが、sこで諸々の真の犠牲が消費されます。ですから、以前の義人たちと、今、キリスト者になっている人たちは、「一つの群れになり、一人の牧者[4]」が生じます。

しかし私は、証明のために更にある歴史を想起したいです――もしも神が恵みを与えて下さり、私たちがその霊的な理解を見出すことができるようにしてくださるなら。ある時に民が荒れ野の中で倒れ、そして、死んでいました。大祭司アロンが来て、そして、死の荒廃が残りの者たちの中にも広まらないようにするために、「死んでいた者たちと生きていた者たちの間に立ちました[5]」。そして今、真の大祭司、私の主が来て、死んだ者たちと生きている者たちの間に――すなわち、ユダヤ人たちから出て彼の現存を受け入れた者たちと、(その現存を)受け入れなかったばかりか、「彼の血は私たちの上に、そして、私たちの子たちの上に![6]」と言って、彼よりもむしろ自分たち自身を殺害した者たとの間に――進みました。そういうわけで、「義人アベルの血から、彼らが聖所と祭壇の間で殺害したゼカルヤの血に至るまで、土地の上に注ぎ出された一切の正しい血は、『彼の血は私たちの上に、そして、私たちの子たちの上に[7]』と言った世代から要求されるでしょう[8]」。

ですから彼らが、死んでいる民の取り分です。なぜなら彼らは、諸々の無酵母バンも諸々の祭日も適切に行わず、「彼らの諸々の祭日は悲しみにかわり、彼らの諸々の歌は嘆きに変えられたからです[9]」。彼らはたとえ望んでも、神なる主が選び出した場所の中で祭日を挙行することはできないでしょう。もちろん私たちは彼らに向かって、「あなた方には、この祭壇の中に、あるいは、主の嗣業地の中に取り分はないだろう」とは言いませんでした。むしろ彼らは、自分自身の意思で、真の祭壇と天的な大祭司を拒否してたのであり、(真の祭壇の)似像を失って真理を受け入れないほどの不幸に導かれました。それで彼らには、次のことが言われます:「見よ、あなた方の家は、荒れたままあなた方に残されるだろう[10]」と。

実際、聖霊の恵みは諸国民たちの許に転送されました;(聖霊の)諸々の荘厳(な祭典)は私たちの許に転送されました。なぜなら私たちの許に転送されたのは、似姿的な大祭司でなく、「メグキゼデクの階級に即して[11]」選ばれた真の大祭司だからです。そして彼が、諸々の真の生贄、すなわち、諸々の霊的な生贄を私たちの許で奉献するのは必然です。私たちの許、そこには、「生ける神の教会[12]」である「神の神殿が諸々の生ける石から[13]」建設されており、真のイスラエルがあります――私たちの主なるキリスト・イエスの内に。彼に「栄光と力が代々にありますように。アーメン[14]」。



[1] Cf.Gn.29,32.

[2] Cf.Gn.30,11.

[3] Cf.Gn.41,51.

[4] Jn.10,16.

[5] Nb.17,13.

[6] Mt.27,25.

[7] Mt.27,25.

[8] Mt.23,35-36.

[9] Tb.2,6.

[10] Lc.13,35.

[11] Cf.He.5,6.

[12] 1Tm.3,15.

[13] Cf.1P.2,5.

[14] 1P.4,11.