しかし私たちは、続く諸々の箇所の中で示されていることが何であるかを見てみましょう。すなわち、イエスは次のように言っています:「あなた方は、呪いからあなた方自身を守りなさい――あなた方が欲を抱いて、呪いから(一部を)取り、イスラエルの子らの諸々の宿営を呪いに変えないようにするため、また、あなた方自身と主の一切の会堂を、あなた方が粉砕しないようにすために[1]」。それらの言葉の中で示されているのは、つぎのようなことです:すなわち、あなた方は注意しなさい――あなた方があなた方の中に何か世俗的なものを持たないように、諸々の世俗な風習を、諸々の悪徳を、世に由来する言い逃れを、あなた方があなたが自身と一緒に教会にもたらさないように;むしろ、あなた方にとって、世俗的な一切の暮らしが呪いであるように。あなた方は、諸々の神的な事柄に諸々の世的な事柄を混ぜないようにしてください。あなた方は、世俗的な諸々の生業を教会の諸々の秘密に挿入しないようにしてください。

そのことは、ヨハネも自分の書簡の角笛によって鳴り響かせて言っていることでもあります:「あなた方は、世も、世の中にある諸々の事柄も愛そうとしてはなりません[2]」。そしてパウロも同じく:「あなた方は、この世に合わせようとしてはなりません」。実際、それらのことを行う人たちは、呪いから(何かを)受け取ります。そればかりか、多々追えば、キリスト者であるにもかかわらず、異邦人たちの諸々の祭典を祝う人たちは、諸々の教会の中に導き入れます。諸々の天体の諸々の行路から、人間たちの諸々の生活と諸々の行いを探求する人たち、鳥たちの諸々の飛翔や、以前に代の中で観察されていたその他のそれに類する諸々の事柄を調べる人たちは、エリコから教会の中に呪いを持ち込み、主の諸々の宿営地を汚し、神の民を敗北させます。さらに、エリコから教会の中に呪いを導き入れる他の多くの諸々の罪が存在します。それらによって神の民は打ち負かされ、敵たちによって打ち倒されます。使徒もそれらと同じ諸々の事柄を教えているのではないですか――「僅かな酵母が塊全体を腐敗させる[3]」と、彼が言うとき。



[1] Jos.6,18.

[2] 1Jn.2,15.

[3] 1Co.5,6.