「そればかりか、新改宗者も原住民もともに、半分の人たちはゲリジム山の近くに、半分の人たちはエバル山の近くにいた[1]」と、(聖文書は)言っています。

どのようにして私たちは、さらにそれらの事柄を説明しましょうか。本当に神の助けが必要です――私たちの諸々の言葉で、神的な諸々の言葉を検討するために、そして、ゲリジム山の近くを進んでいた半分の人たちが誰であるか、また、救われるとしても、ゲリジム山の近くを進むことはできなかったけれど、エバル山の近くを進む人たちは誰であるかを説明するために。ゲリジム山は、諸々の祝福を持ちます。しかしエバル山は、罪人たちを脅かす諸々の呪いを持ちます[2]。実際、申命記の中に書き記されているように、彼らは、六部族を祝福するためにゲリジム山の中に立たせました。それらは、より高貴で特別な諸部族、すなわち、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、そして、ベニヤミンです。他方、彼らは、他の六つのより卑賤な諸部族を呪うために(エバル山の中に立たせました)。彼らの中には、父の寝台に昇り、父的な寝床を汚したルベンと[3]、リヤの末っ子であるゼブルンがいました[4]



[1] Jos.8,33.

[2] Dt.27.12-13.

[3] Gn.49,4.

[4] Gn.30,19.