(5)私事

 

 オリゲネスは、本講話の中で、私事に言及する箇所が幾つかある。オリゲネスは、アレクサンドリアの司教に無断で長老となり、説教をしたことを表向きの理由としてアレクサンドリアを追われ、カイサリアに移ったという苦い経験を持っている。彼は、このような苦い経験を、預言者エレミアの受ける苦しみを通して匂わせている。  

 「私は言った。私は決して主の名を言わない。私はもはや主の名において語らない」(Jr.20,9)。彼は、人間的な何かに苦しんでこのように言ったのです。そしてこの人間的な何かは、私たちも、ややもするとしばしば苦しんだものです。特にもしも誰かが、あるとき、教えと言葉のゆえに悩み、苦しみ、憎まれているのを意識した場合、その人はしばしば、私は退く、何と煩わしいことか、と言います。もしも私が、教えることによって、言葉を発することによって、煩わしさに襲われるとすれば、どうして私は、荒れ野と静寂に退かないでしょうか。預言者も何かしらそのようなことを苦しんで、次のように言っているのです。「そして私は言った。私は決して主の名を言わない。私はもはや主の名において語らない」と[1]  

しかし彼は、アレクサンドリアからカイサリアに逃れ、その地で、再び、優れた教育者として多くに人々を引き付けたとは言え、必ずしも平穏な日々と送ったわけではなかった。時に彼の比喩的解釈が、大胆すぎると誤解されて、非難されることもあった。  

 私が、「神の愚かさ」と言ったとしても、訴訟好きな人たちは一体どのようにして私を訴えるのでしょうか。一体どのようにして私を非難するのでしょうか。たとえ私が彼らにもよいと思われることを幾千万と語ったとしても、私が「神の愚かさ」を語ったばかりに、これについてはよくないことを言ったとして、どうして私は咎められると、彼らは考えるのでしょうか[2]  

 もしかすると、この「訴訟好きな人たち」とは、多少とも保守的な傾向を持ち、行き過ぎた比喩的解釈を快く思わなかったユダヤ・キリスト教の伝統を守る人を暗示するのかもしれない。 その他、オリゲネスの私事に触れるものであるとはいえないが、彼がその青年時代にアレクサンドリアの学塾ディダスカレイオンで教理教育に専念していた頃、エジプト総督セルバチアヌス・アキラSerbatianus Aquilaによって起こされた迫害の中でキリスト者が示した力強い信仰を懐かしんでいる箇所がある[3]  

 もしも私たちが、物事を物の数ではなく真実によって判断するならば、そしてもしも私たちが、物事を集まった多くの人を見てではなく、心構えによって判断するなら、私たちが信仰ある人間でないことに、私たちは気づくでしょう。以前は、信仰のある人々が(たくさん)おりました。あの当時は、高潔な殉教が行われました。あの当時、私たちは、殉教者たちの葬列に加わった後、墓地から集会所へ向かいました。そして全き教会が(何ものにも)煩わされることなくそこにありました。教理教育の受講者たちは、殉教者たちを目の前にして、しかも、「死に至るまで」(Ap.2,10)真理を告白した人たちの死を目の前にして、教理教育を受けていました。しかしそれでも、彼ら(教理教育の受講者たち)は生ける神に信頼して、ひるむこともなく(Ph.1,28)、また心乱すこともありませんでした。私たちは、あの当時、不思議で驚異的なしるしを見た人さえ知っています。あの当時、信仰のある人はわずかでしたが、しかし彼らは本当に信じていました。(あの時の彼らは)「命へと至る、狭く険しい道を」(Mt.7,14)歩いていました。ところがいまの私たちは数こそ多くなりましたが、多くの人が選ばれることはできませんから――実際、「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」(Mt.20,16)と仰せになったイエスは、嘘をつきませんから――、敬神を誓った多くの人たちの中で、神の選びと至福にたどり着く人々はごくわずかなのです[4]  

 これらの言葉は、三世紀の中庸に、教会の数的発展に反比例して、信者の道徳的水準が著しく低下したことを物語っている。オリゲネスの青年時代は、セプティミウス・セヴェルス帝の迫害に脅かされていた。しかしセヴェルス帝以後、幾つかの地方的な迫害があったとはいえ、エレミア書講話など一連の講話が行われた彼の壮年時代には、教会は一時的に平穏な時期を迎え、数的に拡大していった。エウセビオスは、この頃のことを、「信仰が広まり、私たちの教えが、すべての人々の傍らで、公然と語られた[5]」と述べている。  

本講話においてオリゲネスの扱った主要な話題について、本文を引用しながら列挙した。もちろんそれらが、本講話の話題のすべてではない。最後に挙げたオリゲネスの私事は別にして、本講話は、聖書を平明に解説し、会衆の信仰を護り、教化することを第一の目的としているから、扱われる話題も、必然的に道徳教化的、教理教育的なものにならざるを得ない。なかでも終末に関する教えは、本講話において目立っている。なぜならそれは、信者の風紀を正すのに最も効果的でだからである。



[1] Hom.Jr.XX,8.

[2] Hom.Jr.VIII,8.

[3] Cf.Eusebios, HE.VI,3,3.

[4] Hom.Jr.IV,3.

[5] Eusebios, HE, VI,36,1. 有賀太郎、上掲書11頁参照。

 

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