第一講話

ルカの序文について。「いとも高貴なテフィロスさま。あなたのために書くこと[1]」まで。

 かつてユダヤ人らの民の中に、預言を請け合う多くの人々がおりました。しかし或る者たちは偽預言者で――その内の一人がアゾルの子アナニアスです[2]――、他の者たちは真の預言者でした。そして民の中には、霊を識別する恵みがありました。その恵みによって他の者たちは預言者として受け入れられ、少なからざる人たちがいわば熟練の極みに達した両替商たちによって拒絶されました。これと同様に、今日でも、新約聖書において多くの人たちが福音書を書こうと努力しましたが、すべての人が(真正な福音記者として)受け入れられたわけではありません。皆さんもご存知のように、四つの福音書だけが書かれたわけではなく、実に多くの福音書が書き記されたのです。そしてこれらの多くの福音書の中から、(いま)私たちが持っている(四つの)福音書が選ばれ、諸教会に伝えられました。私たちは以上のことを、ルカの序文そのものから学んでみましょう。それは次のように記されています。「実際、多くの人々が話をまとめようと努力いたしました[3]」と。(ルカが)言っていること、すなわち「(多くの人々が何々)しようと努力しました」という言葉は、聖霊の恵みもないのに福音書の執筆に突進した人々に対する暗黙の非難を含んでいます。実にマタイとマルコとヨハネとルカは、書こうと努力したのではありません。彼らは、聖霊に満たされて福音書を書きました。ですから「多くの人々が、私たちの間で極めて明瞭に知られている事柄についての話をまとめようと努力したのです」。



[1] Lc.1,1-4.

[2] Ananias, filius Azor; Cf.Jr.28,1s.新共同訳聖書では、「アズルの子ハナンヤ」と表記されている。

[3] Lc.1,1.

 

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