たしかに彼も、聖霊によって三ヶ月間、少しずつ成長し、それと知らずに教育されました。そして彼は、キリストについて預言してこう言ったのです。「主は、ご自分の民をあがない、我らのためにダビデの家に救いの頂を立てられた[1]」と。なぜなら「肉によればダビデの種から[2]」キリストは生まれたからです。

 真にキリストは、「ダビデの家において救いの角」でした。なぜならその預言は、「ぶどう畑は、頂に作られた[3]」と共鳴するからです。どのような頂においてでしょうか。それは、キリスト・イエスです。彼についていま、次のように書かれています。「(主は)その預言者たちの口を通して語られたように、我らのために、そのしもべダビデの家に救いの頂を立てられた[4]」と。



[1] Lc.1,69.なお「救いの頂」の原語は、cornu salutisである。「救いの角」と訳すと、後出のイザヤ1,5と調和しなくなる。

[2] Rm.1,3.

[3] Is.5,1.なお、「丘に」の原語は、in cornuである。

[4] Lc.1,69-70.

 

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