第十三講話

「すると天の大軍が加わった」と書かれていることから、「(羊飼いたちは)マリアと、飼い葉桶に置かれたイエスを見つけた」と言っている箇所まで[1]

 私たちの主にして救い主はベツレヘムに生まれました。そして「天の大軍」は神を賛美して、こう言います。「諸々のいと高きところでは神に栄光。地には、善意の人たちに平和[2]」。「天の大軍」がこのように言うのは、彼らが人々に助けを与えることがもはや十分にできなかったからであり、彼なくしては、自分たちに委ねられた務めを果たすことができなかったからです。実に救い主は、(人々を)救うことができるのであり、さらには指揮者たち[3]を助けて、人々が救われるようにすることができるのです。福音書には次のことが書かれています。或る人たちが、諸々の逆風に逆らいながら櫓を漕いで海を渡っていましたが、なんとか二十五スタディオンか三十スタディオンほど進んだところで疲れれ果ててしまい、港に着くことができませんでした。しかしその後、主がやって来て、荒れ狂う浪をお鎮めになり、舷側を浪に打たれていた舟を差し迫る危険から解放しました[4]



[1] Lc.2,13-16.

[2] Lc.2,14.

[3] praesules:直接には天の大軍をさすが、彼らは、前講話で詳しく語られた善いみ使いたちである。

[4] Cf.Jn.6,18-21.

 

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