同じようにあなたは、天使たちも人々に助けを与えることを望み、彼らに病からの解放をもたらそうと願っていたとお考えください。なぜなら「み使いたちは皆、救いを得るべき人々に仕えるために使わされた奉仕者だ[1]」からです。そして彼らは、その力の及ぶ限りで、人々を助けました。しかし彼らは、自分たちの医術が、人々の治療が要するものよりもはるかに劣ったものであることに気づきました。私が述べていることをあなたが具体例から理解できるようにするため、どうかあなたは、きわめて多くの人が病気で苦しみ、数々の医者が足しげく治療に携わっている[2]町をお考えください。その町には様々な裂傷が見られ、死んだ肉に壊疽が広がり浸透しています。しかしその治療を任された医者たちは、もはや他の治療法を見出すことができず、自分の医術の知識では疾病の拡大を抑えることができません。そのような状況があるとき、医術について最高の知識を持つ或る医術の達人が来ます。そしてそれまで治療することのできなかった医者たちは、師匠の手によって諸々の傷の壊疽が止まるのを見ますが、邪推することも、妬みに駆られることもありません。むしろ彼らは、医の達人を激賞し、彼らと病に苦しむ人たちとのために、それほど偉大な知識を持った人間をお遣わしになった神をほめたたえます。



[1] He.1,14.

[2] medicorum frequens adhibeatur manus:直訳すると「医者たちの手が頻繁に適応されている」となる。

 

次へ